きてぃさんからの質問
大波を少し前に久しぶりに経験し、それから毎日敏感になっています。少しの距離でも、自宅でも、職場でも、とらわれが強く、少し前の自分はどうした?とびっくりするほどです。
先生のブログ、動画、本の不安のメカニズムをチェックして、これは誰もが経験すること、回復の過程に過ぎないんだと言い聞かせ、毎日びくびくしながらですが、なんとか行動しています。
でも、以前はそれほど感じなかった緊張が最近は強く出て、当たり前のように不快な症状が出るため、苦痛です。
回復の過程、第2の恐怖を加えない、浮かんでとおる、時間が経つのに任せる。これがどんなに難しいことか、痛感しています。
あの一瞬で飲み込まれてしまう大きな発作の中で、それを試す…本当に難しいですね。
最近は来るたびに、
この中で受け入れるなんて無理、怖いものは怖い、コントロール出来ないのは経験済みだし、慌てても恐怖感が増すだけなのも知ってるけど、何もしないなんてやっぱり無理だよ…
と、家族に言ってしまいます。
ちょっと調子が良いと、また気力は戻ってきますが…
本音が、早く症状をなくしたい、おさめたい、楽になりたい…なので、なかなか浮かんで通ることが出来ないのでしょうか。
続けていけばコツが分かるのかなぁ。
性格は関係ありますか?
それと、食後によくこうなります。
原因探しはあえてしなかったけれど、
食後って何か関係あるのかなと不思議なのです。
先生の経験、回復された方のお言葉もぜひ聞きたいです。
すごく恐れている自分がいます。気付きを入れて、今に戻っていますが、どうしてもおさめたい、本当にこれおさまるっけ?と不安の連鎖です。
よろしくお願いします。
回答
こうした事が起こると、心は警戒状態にあるので、でき始めていたことが、再度できなくなるだけではなく、新しい症状や、とらわれが時として生み出されるときがあります。
それはきっと、どこかで今まで以上に監視の目が向いているために、いつにも増して神経が敏感なのです。
すぐには神経の弾力性は取り戻せません。待つしかないのです。そこでジタバタしていくと、ますます神経は硬直していきます。
言葉悪く言えば、「あきらめが肝心」ということです。
回復に必要な事柄は、シンプルですが簡単ではありません。時として、まったくできない日もあります。それがずっと出来ていたものであっても、訳もなくそんな日が起きたりもするのです。
そんな日には、自分がどんな振る舞いや、思考、感情にとらわれるのかを知っておくことは重要ですよ。
そして、それらは紛れもなく第二の恐怖の積み重ねによって膨らんできたものです。真実ではなく、物語なんです。
はやく治したい、おさめたい、楽になりたい…
そうした気持ちになるのは、人間だから仕方がありません。なかなかそんな時の現状を丸ごと受け容れることは不可能に近いかもしれません。
しかし、「自分がそんな状態になり、自分の感じ方にとらわれているだけなんだ、そんな自分に気が付いているよ」と実況をしておくことは大切ですよ。
どんな状態にあっても、「今の自分はこうなのね」ということに気付いていることが重要なのです。
性格等は、この方法には関係がありません。しかしながら継続は大切です。わたしの取り組んできた方法は、心のメカニズムにそった方法です。地味で結果に対しても、その場ですぐに実感するものではありません。
回復の実感は、さりげない小さなものです。
「いまだ症状や不安は変わらずあるけれども、以前よりあまり気にならなくなってきたかも。落ち込んでも復活が早くなっているかも」などといった状態になっていきます。
いまだに、そんな事すらも感じなくても正しい方法に沿ってさえいれば、それは見えない水面下で実は育っているでしょう。
不安の連鎖を止めるには、今まさに、自分が不安の連鎖を好んで作り出していることに、気付き、ツッコミが必要ですよ。
それと不安になることで、ものを考え、そんな状態の方が、何もせず放置しておくよりは安心に繋がっているのかもしれません。いざという時のためにも、力を抜かず、構えておきたいわけです。
これはわたしも含めて、みんなそんな状態を無意識に作り出してしまいます。だからこそ、気付くことが大事なのです。力を抜くには力が入ってることに気づかなくてはなりません。
どうしなきゃならないか、どうやってやるのかは十分わかっているのだと思いますよ。ただわかっているがゆえに、こうした状態に陥ると、不信が高まり、より戦おうとしてしまうのです。
人間ですから避けられないものだと思います。
しかしながら、避けられないながらも、大きくブラさないことは可能です。
それが、その状態を受け容れ、その間浮かんで通り、時間の経過に任せるという原則が生きてくるのです。
戦っても負けるし、コントロールしようとすれば、余計にこじれるし…わかっていながらもやってしまう、そんな自分が紛れもない今の自分。
克服への道は、常々、そんな自分で毎回向き合っていくことなのです。
今のまんまで、しばらくは浮かんで通り、時間の経過に任せていきましょう。