Q76:パニック発作を受け容れることの難しさ

モチコさんからの質問

カウンセリングと行動練習のおかげで、症状と共に、やり過ごすことが出来るようになってきました。

先生の言葉や本でも学んだように、「わいてくる思考を否定しない」ように心掛けています。

不快な症状の感じ方は場所や状況で左右されるなぁと経験上思うのですが、たまーに大きな波が来ると、息苦しい、こわい、今日は浮かんで通れない、今日こそは無事帰れない。と暴走し、わいてくる思考を否定しない。が出来ません。

これも行動で!
とも分かってるんですけどね(^^;)
今日こそは息が出来なくなるわ。
無事帰れないわ。
おさまらないわ。
私は例外で、治らないんじゃ。
子供生まれてから病院とか行ってないし違う病気なんじゃ。
などなど、何とも言えない不安感や不快な症状に押し潰されそうな日が最近たまにあります。

原因探しはやめています。が、家事育児仕事で今日は頑張りすぎた~疲れた~って日はやっぱり症状が強め、食後にそわそわする事が多いかなと思います。
でもこれに関しては、たまたまだったなと思ったこともあるので、そこは、とらわれなくなってきました。
私は例外だ、今日こそはおさまらない、帰れないかも、息がとまるー、こわいー!

先生はこんなことありましたか?
ちゃんとなんだかんだで無事1日は終わるし、症状もおさまるの知っているのに、すぐ飛んでしまう。

そういう時、症状のおさまりが悪いのはなぜなんでしょうか。やはり、どうにかしたい!と思うからでしょうか。
不安のメカニズムに、数分おきに何回も襲われる方もいた。と書いてありました。それはやはり、神経過敏になっているからなんでしょうか。

質問まとまらず、すみませんm(__)m
よろしくお願いします。


回答


治していく方法はわかった。少しずつ成果も出てきた。でも、こんな時はうまくできない…

そんな風に思っている人は大勢いると思います。もちろん私もそうでした。

そしてあなたもわかっているように、そんな時でさえ、そんな状態をジャッジせず、そのまま受け容れ、浮かんで通り、時間が経過するのに任せるという原則を外してはいけません。

ただ言うは易し行うは難しで、なかなか受け容れられないもの、原則通りには思えない、行動できないものですよね。

そんな時は、どうか自分の中に湧いてくる、不甲斐なさ、罪悪感などに引きずり込まれませんように。

「今日はそんな日なのです」

今日はそんな日なのに、そこで疑心暗鬼になり、分析モードになってしまうといけませんよ。
ただただ、そんな日なのですから。

それでも何とか受け容れているつもりでも、監視モードはすぐには解けないので、どうしたってコントロール欲求が高まります。

だからこそ治りが悪い感覚に酷くとらわれ、それが神経過敏になり、ますますわずかな不快感覚を強く受け取り、無くそうと必死に。つまり悪循環のループにハマるのです。
ちゃんとやっている人ほど、このような罠にハマります。

「症状のおさまりが悪い」と、こだわって質問してくるという事は、症状を受け容れていないからです。(でもそれが普通ですよ)

そんな酷い日もありながらも、前よりは何とか乗り越え、そして結局無事に1日が終わるからこそ、余計に「それなのに!なんで!」思考が起動してしまう始末。なかなか受け容れるって大変です。

なかなか、うんざりモノですよね。

「ちゃんとやっているのに、なぜ?」
「ちゃんとできていたのに、なぜ?」

でも、そうした過程が回復へのルートの一部でもあるんです。今あなたはそのルートを進行中…誰もが通る道です。もちろん過去の私も。

回復の一歩手前まで、症状は見つけようとすれば見つかってしまいます。回復の前日でさえも、用心のための監視の目を光らせば、それは見つかってしまいます。それはクレア先生も言っています。

用心深さは、自分への信頼度、肯定感に比例します。
目指すところは「明け渡し」「ゆだねる」しかないのだというポジションです。

自分自身、そして周囲に起きること、自分に影響してくること、その時にやれるだけのことをやったら、あとは明け渡し、ゆだねるしかないのです。

自ら大きなスプーンでかき回すことのないように。