沙羅さんからの質問
そのブログや以前のブログなども読み返して実況中継をしています。
一歩ずつでもやるんだと頑張っていた矢先、母がくも膜下出血で倒れてしまいました。
手足は動き意識がある状態ですが出血場所が分からず手術も出来ずに集中治療室にいる状態です。母は頭痛、吐き気が酷くてグッタリしています。
倒れたという連絡を受けてから不安感や恐怖感に襲われて、えづく事を繰り返しています。
食事も一口しか食べれない状況です。夜も眠れても数時間で恐怖感や不安感で何度も起きてしまいます。
言霊と言う言葉があるように母は絶対に大丈夫だと言い聞かせていますが、やはり恐怖感や不安感は数分後には襲ってきて苦しさやえづきやお腹を壊すといった形で現れます。
家族なら面会できるので毎日会いに行きたいのに母が倒れる前の私は家の周りでさえも行動する事が出来ずにいる状況だったので車で10分の道のりでも心療内科で貰った薬を多目に飲んで出るという方法しか出来ていません。多めに飲めば軽い発作はありますが何とか会いに行けます。
ですが多めに飲んだら今度は離脱症状がやって来ます。吐き気が酷くなります。
一日中、数分おきに襲ってくる不安感や恐怖感に、こんにちは怖くて仕方ない事に気付いているよと実況中継していますがおかしくなりそうです。
ただ離脱症状には、どう対処すれば良いのか。
薬を飲まなければいいと分かっているのですが、どうしても会いに行き面会時間のあいだは側にいたいので発作が出ないようにと薬を飲んでしまいます。
いまだに頭がぐちゃぐちゃで文がまとまっていなくて申し訳ありません。
パニック障害の人にとって、数ある恐れの1つに、「病」があります。
これは自分だけではなく、身内など特に自分を支えてくれていた人については、漠然と不安を抱いているものです。支えを失うことほど怖い事はありません。
パニック障害は年単位で治していくものです。その年月の間に、今回のような出来事が起きてしまうと、恐慌状態に自分が陥ってしまうのも無理はありません。
たしかに起きた事態は深刻な状況にあるのかもしれませんが、しっかり区別しなくてはならないのは、「事実と解釈」をしっかり確認しておくということです。
あなたの中で生まれた不安や恐怖は、今回起きた出来事に対して、あらゆる想定を付け加えた結果です。
たしかにそれは起きて欲しくなかった出来事です。しかし、それは紛れもない事実です。
その事実に即応して自分自身がその先に起きては欲しくないことを加えていった。その加えていった内容は、あなたの過去の体験から持ってきた単なる予測です。
そうであるかもしれないし、そうではないかもしれない。事の推移というものは、それが起きた時にしかわかりません。
起きてもいないことは、想定であり、ストーリーです。
あらわれてくる身体反応は、人それぞれ違うわけですが、あなたに起きている症状は当然の反応です。
その辛い症状が無くなるのは、事態に変化が起き、想定していたストーリーが杞憂に終わった時です。
よって今回の事態に変化がない、先行き不透明であれば、不安や恐怖はなかなか消えることはないでしょう。それが自然な反応だからです。
自然に起きてしまう事を、私たちはどうする事もできません。これをコントロールしようと必死に戦ってしまうと、逆に症状にコントロールされてしまいます。
あなたができる事は限られていて、
①お母様の推移を見守る事。事実と自分の解釈(ストーリー)を、しっかり区別する事。抱えている不安や恐怖はお母様に起きた事実に、自分のストーリーを加えた結果であります。
②そしてそのストーリーが自分の必要以上の過度な不安や恐怖を生み出しているのだと確認を取る事。
③辛い日々ではあるけれど、日常の生活リズム、やるべき事はできる限り、崩さずにやれる事はやること。(以前のように100の結果は目指さないこと)
④しばらくは予期不安や発作症状の波にとらわれるかと思いますが、ここは浮かんで通り、時間の経過に任せる事。
⑤実況中継を正しく行う事。症状や予期不安を取り去る方法ではありません。あくまで混乱している時に、ストーリーに入り込み、今にいないということに気付きをいれるためです。
⑥今の状況にあっては薬を飲む事は避けられません。むしろこうした時にこそ、薬の助け、後押しが必要です。薬を悪者にしない事。離脱症状への怖れは、これもまた自分の中のストーリーが必要以上に、薬に対する不安や恐怖を作り出しているということを自覚する事。
こんな時にこそ、「浮かんで通る」、「時間の経過に任せる」ことを意識して心がけていきましょう。
どうにかしたい…そんな気持ちは理解しますが、それがその先、自分がコントロール不能になることを怖れているわけで、しかしそれは事実ではありません。
どこまでも私達はある意味で、非常に理性的です。コントロール不能になることはありません。そんな「感覚」になることを怖れているに過ぎません。
それもストーリーなのです。