Q98:パニック発作の大波。あなたの中の「ちゃんとできないと!」を緩めましょう。

あーちゃんからの質問

 

小波をうまくやり過ごせるようになり、

1ヶ月ほど、まあまあな日々を過ごしていました。

 

小学校1年生と園児の子供がいますが、ずっとコロナの関係で休校、休園ですが、いよいよ始まろうとしています。

 

私は送り迎えや子供の行事となると、責任感を感じるため、予期不安がとても強いので正直、通常に戻る方も緊張マックスです(汗)

 

そんなこんなで、色々考えていた部分もあるのかな?またまたちょっと久しぶりの大波がきました。

 

でも、先生にも何度も質問しているし、先生の記事も何度も何度も読みなおして、良し!としました。

 

通院なしですが、昨年の大波で頓服だけを処方してもらっていたので、子供に関わることや、どうしても!な時は素直に頼ると決め、迷わず飲みました。

 

で、先生!

 

私、小さな波は本当に冷静に、不安のまま、そのまま、あるがまま、家事や育児に戻り、あ!消えてた!すごい!やり過ごした私!と感動することも増えました。

 

そして、数日前のちょっと強めの大波。

先生にも何度も言われた、避けては通れないお試し。

 

はじめは、よし!チャンスきた!どういう経過をたどるか見てみよう!と素直に思う自分がいて。

 

が、うわ!今回は強ーい!強烈な恐怖感、思考暴走止まらなーい!となってからは、一瞬で撃沈(汗) 

 

子供たちにも気付かれ、心配かけたり、叫んじゃう前に頓服を素直に飲みました。

 

ちょっと久しぶりの頓服。効くまでの間もあまりの恐怖感で我慢出来ず、母に電話。

 

電話中に思いました。

私は何が1番怖い!と思うのか。

自分の呼吸とか思考とか冷静に見てみたのです。

するとやはり、今日こそは気が狂う、このまま止まらないバージョンのやつかも、もう何度来ても進歩なしじゃん!

 

と、思考が未来や過去にいっていて…

 

先生、私が1番恐れてるのは、気が狂いそうになるほどの恐怖感です。

 

先生は薬も使わず、大波を乗り越えてきたんだと思います。

 

その時はどんな感じでしたか?

気が狂いそうな恐怖感はありましたか?

おさまったと思ったら、またウワーっとくるような波はありましたか?

 

経験者の先生の言葉が今の私にはとても励みになります。

 

このたまにくる、終わりが見えないような何とも言えない恐怖感。これを頓服に頼らずやってきた自分がいたのも事実。

 

でも今は頓服に頼っている自分がいるのも事実。

両方受け止めていますが、この恐怖発作、小波のように乗り越えるには、数稽古ですか?

 

何度来ても進歩なしに思えて苦しいです。本当に恐怖感だけは…

 

先生はどうされましたか?

よろしくお願いします。

 

 

回答

 

 

重要なことは責任感を伴います。そして緊張は自然です。責任感を伴う行動は緊張するのは当然なのです。

 

あなたにとって、さまざま重要なことはあるかと思いますが、そのうちの一つが子供に関わりのあること。ましてや自分がこの病気になってからというもの、あらゆる事が細やかになり、気にするようになり、些細なことであっても、「うまくできるだろうか」と考えに考えて行動することが多くなったのではないでしょうか。

 

そうはいっても、あなたの中にここのところ、回復への実感を感じて来ているのも事実。そして頼るべきときは、素直に人に頼る事を決め、使うべき時は我慢せずに頓服にも頼ることにしたのも大きな進歩です。

 

頼ることはパニック障害の人にとっては必要であり、最も難しいと感じることの一つでもあり、頼れるようになったのも進歩なのです。

 

さて今回の一件…

 

小さな波はともかく、大波になるとまだ同じようには乗り越えられません。

小さな波と同様、大きな波での思考のもっていきかたに注視し、コントロール欲求をいかに手放し、今に自分を引き戻していくか。こうして言葉にあらためてしてしまうと難しく感じるかもしれませんが、やっていくこと、心構えは変わりません。

 

ただ、あなたの中に感情的な葛藤が自らを苦しめています。今回の話のような、大波に対する思いは、私を含めて皆同じです。悔しいし、治ってはいない自分も改めて実感してしまう瞬間なので、あれこれと思考は暴走しがち。

 

その最たるものが、今回のような「今日こそは…」です。

 

私もありました。いくらうまくいっている体験をしてさえも、少し大きな発作症状に見舞わられると、「今回はわからないジャン」みたいな。

 

そして訳の分からない根拠まで持ち出して、自ら首を絞める愚業に及ぶのです。

 

「今回はわからないじゃん!」

 

「だって、疲れ気味だし」

 

「寝不足だしな」

 

「風邪ひいてるし」

 

「天気も曇ってるし」

 

もう天気まで持ち出して、今回の発作症状を拡大解釈したがる自分がいます。

 

止まらない思考の暴走。

 

でも、これって、ある意味では「備え」のためなんですね。

 

歯医者で痛みに耐えようと力を入れるのと一緒。

 

なので、実はあまり中身はどうでもいい。もちろん、その人の「こうなってはいけない」がストーリーとしてある人は、あなたのように「気が狂うのではないか?」という思考の暴走ネタを持ち出してくる人は少なくありません。私にもありました。

 

こうした怖れは、自分が自分ではなくなるような感覚。コントロールが自分できかなくなることへの怖れです。

 

そして「ちゃんとできない自分」を許せないのです。もしかしたらパニック発作以上に、そんな自分になることを怖れているのかもしれません。(パニック障害の人は、もともと、そのような思考を持った人が多いです。だからこそ苦しむわけですが)

 

さて、こうした潜在的な怖れがあるために、大きな波、症状をうけると、「コントロール不能な自分への怖れ」が出てくるのです。

 

これは断続的に出てくることもあります。寄せては返す波そのものです。これがまた自分の中の疑いが深まる時だったりします。

 

そして、「やっぱり今日はわからないじゃん」の繰り返し。

 

「コントロール不能な自分への怖れ」があるために、その最悪のことを起こさないために、痛みを耐えようと「備え」に走っているのです。この「今日こそは…」は不快な思考かもしれませんが、その思考のおかげで、よりやるべきことがしっかりと意識化される側面もあるわけですから、良くないことにだけ偏った思考にならないように気を付けましょう。

 

物事には表と裏があるのですから。

 

こうした流れすら受け容れ、浮かんで通り、時間の経過に任せていくことです。

 

そして、たとえそのような思考が湧いてこようとも、それは大きな痛みに耐えるために、必要以上に力んで備えようとしているだけと捉えなおしましょう。