Q101:パニック障害で多い「息苦しさへのとらわれ」をどのようにとらえたらいいのか

すいすいさんからの質問

 

先生のブログやカウンセリング、不安のメカニズムを参考に、波はある中でも行動しています。


先生がよく、「神様のお試し」とおっしゃっている、少し大きな波も、慌てながら、そして、いちいち落ち込みながら(笑)も、先生の言葉や本に書いてることを思いだし、また立ちあがり、行動しています。

ですが先日、家族で出かける予定の朝、なんだか気分が乗らず。
でもそんな気分と共に支度をし、車へ!

 

あ、やっぱなんか今日はダメな日だ、行ける気しない。と、また強く感じ、家族に頼み、出発を遅らせてもらいました。


でも子供たちが、早く行きたい!と言うし、私自身も、何で今日はこんな感じなんだ~と悔しくなり、焦り、旦那にあたる始末…(汗)

目的地は少し前にも行った、行き慣れた場所なのに。なんだか本当にグダグダでした。
結局、そんな気分や症状と共に行けたんですが、喜びには変わらず…

少し大きな不快な波、神様のお試しは1回だけではないし、来るときは来る。
それは理解しています。


でも何回か来ると、受け入れが出来ていると言うよりは、嫌気がさしている、気力がなくなる…うんざり。という感じの自分が出ることがあります。

それすら受け入れる、否定しない、それでよし。
ということがどうしても出来ない時があるというか…

症状は、息苦しさ、ふらふら感、それに伴う恐怖感です。

うまく息が吸えない感じ。
これは吸えないという感覚にとらわれてるだけなのか?


いや、明らかにいつもと違うし、
感覚じゃなくて事実だし…と、
頭の中がぐちゃぐちゃに。

窒息感やふらふら感についても先生が経験したお話があればぜひ聞きたいです。

よろしくお願いします。

 

 

回答

 

 

あなたは、気分優先ではなく、目的優先でちゃんとやっているのです。

 

原理原則を知り、そこに自分を当てはめ、できる限りのことを遂行できています。

ちゃんと意識をしてやっています。ここまでかなり努力されてきたのでしょう。

 

そして、そんなあなただからこその、ここにきての、「ガッカリ感」なのです。

 

うまくいってた場所、状況にも関わらず、思いもかけないところでつまずき、そのガッカリ感といったらないでしょう。

 

「まだまだなんだ…私」そんな気持ちにもなったのかもしれません。

 

こんな時って、今まで順調だっただけに、白黒思考になりがちです。未来がボヤけてくるものです。

 

今回の事を解釈ではなく、出来事としてだけとらえましょう。期待に反した結果、思いもかけない結果に強い関心をもつ必要はありません。

 

「今回はそうだった」だけに過ぎないのです。

 

どんな事でもそうなのですが、うまくいっていた事が、時として意味もなく、うまくいかなくなる時があります。人はそんな時に、原因探し、つまりは分析の拷問を自分にかけてしまいますが、自信を失い、自分を責めるだけに終わる事が大半です。

 

さっそく、あなたは症状に対して、ジャッジを下し、分析を始めました。これがどんな結果を招くかは、今のあなたですから、わかるはずです。

 

回復までの道程には、こうした事態はふつうに起きてきます。その度に今回のような気持ちになります、人間ですからね。なので、そこに優劣を付ける必要はありません。

 

窒息感や、ふらつき感は私もとらわれた症状でした。上半身、頭付近の症状は気付きやすく、とらわれやすい部位でもあります。何をしていても気になる部位なのです。

 

なので、どうにかしようとしても、どうにもならず、なるべくしてなっていること自体に戦いを挑んでも負のループに陥るだけです。

 

ここは浮かんで通り、時間の経過に任せるしかないのです。こうした事を繰り返していくと、この先にも同じような事態になった時に、いち早く自分が罠にハマっている事に気付きやすくなります。

 

そんな状態でありながらも、日々の生活に集中力が生まれ、気になりつつも目的遂行もスムーズにいきます。自分が「思う」ことで、今の自分、今の感情が作られているということに理解が深まり、あなたもきっと、それを実感することになるでしょう。

 

今あなたがやらなくてはならないこと。

 

戦っている自分に気付き、戦いをやめ、浮かんで通り、時間の経過に任せることですよ。