杏仁豆腐さんからの質問
私は、これは回避行動なのか?と自分の行動を考えてしまうところがあります。例えば、通販で買い物をしようとすると、店に行って買ってもいいのに、回避行動なのか?と思ったりします。
でも冷静に考えて、小さい子供がいて外出しにくいし、コロナもあるし、通販で買った方が良いと思うから通販でいっかと思うのですが...
これは結局、通販で買うか店で買うかはどっちでも良くて、自分のやりたいことを予期不安でやめとこう、とならず、行動してみる、ということなのかな?と思うのですが。
後、症状がありながらの行動なので、ペースが落ちたり、1度にせずに何回かに分けてする、など、工夫はしてもいいでしょうか?
とがし先生のブログやオススメ本を読み始めて長くなるので、原則に当てはまっているか、自分の行動をチェックしているようです。間違えたくない、という焦りもあると思います。
それから、クレア先生の本など読んでいると、思考は止めない、と書いてあると思います。思考に気づきを入れて今に戻ると、ぐるぐる思考が止まる感じがするのですが、これでいいでしょうか?
最近今一度受け入れを丁寧にやってみようと、症状の実況中継をしてみると、以前より今の症状が分かるようになってきました。
以前は気づかなかった感情にも気づくようになり、私はパニックが嫌なんだ、と素直に認めていないことに気づきました。食事中に症状が出ると、結局いつも食べても何ともないのに、また食べれないって思ってるのか...と、症状を否定していました。
でも、もっとシンプルに、症状が出て、どうしよう思考が出ていることをそのまま受け入れるようにしてみると、葛藤が減ります。症状が出ながらなので、ペースは落ちるけど、とりあえず続ける、といった感じです。
そして、どれくらい食べるかは自由!食べるペースも自由!食べ残す日も、そりゃあある。そこに固執する必要はない。また食べれなくなったらどうしよう、という予期不安は出てきますが、今に戻ることで、固執する時間が減り、食べれない自分に浸る必要がないな、と思いました。
私は物事も、人も、自分の不安や恐怖のフィルターを通して見ていたようです。
周りの人を「どうせ分かってくれない」というフィルターを通さず、そのままいつもより少し見てみたら、不安や恐怖は少し減りました。周りの人も自信満々な訳じゃなく、悩んだり、イライラしたり、言いすぎたかな?と後悔したりしている。私は周りの人と同じでした。自分を低くしていたけど、対等だと思いました。
自信は無いままだけど、そのままやっていったら、自信を付けようとしなくても、少しずつ付いてくるものなのかなと思います。
私は傷つきたくなくて、悪い想像をすることで安心していたようです。今に戻り、そのまま物事を受け取ると、自由になる感じがあります。
何となく、肩の力が少しずつですが抜けてきている気がするのです。それもあって、焦っているのかも...
自分の現状もお伝えしたくて、すごく長くなってしまいました。添削をお願いします。
子育てが落ち着いたら、またカウンセリングを受けようと思います。アドバイスお願いします。
回答
今回のような葛藤を抱え、試行錯誤されている人は少なくないと思います。
学んだことを実践に移すときは、必ずこうした試行錯誤はつきものであり、必要なことです。
はじめから、「うまくやろう」とか、「ちゃんとできないといけない」は必要ありません。
そのような事を悩み続けても行動してみないことには始まりません。
通販のことについては、回避行動ではありません。冷静に考えて出した結論は妥当かと思いますよ。
あなたが気付かれたように、「自分でやりたいことを予期不安でやめておこう」としないで行動することが大切です。
こうした日常、また練習として取り扱う対象については、当然に症状ありきで行うことがあるわけですから、何もない状態と比べて、結果も期待した通りではない不完全なものとなったり、ペースだって落ちてしまうことは多々あります。
そうした事を踏まえての工夫は大事ですし、以前のような完遂度に近づけようとする試みは悪くはありませんが、大切なのは、自分の中に湧き起こる「不完全さ」「欠乏感」にちゃんと直面して、受け入れることです。
カウンセリングや、この質問回答のコーナーでも、やっている事は、「答え合わせの時間」です。人間ですから、間違えたくない気持ちも、焦りも出てきます。そうした自分の在り方も分かりつつであれば、このようなサービスを使うことは問題はないのです。
「思考を止めない」については、実況中継、気付きの練習をしていくことで、自分を引いてみる力が(客観視)身に付いてきます。
そうなると、思考がたとえ湧いてきても、そこに強い関心を持つことが不思議と減って参ります。
その結果として、グルグル思考に関しても止まる感覚を受けるのです。
行っている方法が思考を止める方法ではないことを理解されているのであれば、グルグル思考等が解消されたことを喜んで頂いても結構ですよ。
実況中継法は、自分を客観的に「観察する」方法ですから、おっしゃるように、自分の抱えていた症状についても、以前とは見え方が異なってくるはずです。慌てながらも、ある意味冷静な部分のウエイトが増えている実感もあるでしょう。
今まで反射的にパニック発作症状に「反応」していたのが、反応から「対応」へと形を変えていくことでしょう。
そうなると、今までのパニック発作や予期不安といった辛さを、目を逸らして直面してこなかったこと、受け入れとは正反対であったことが理屈抜きでシックリしてきます。今のあなたはそんな状態のようですから、順調に回復への道を歩まれていると思いますよ。
パニック発作症状が出ることは誰もが嫌なことです。大丈夫と思っていても、いざそれが湧いてくると、回避だってしたくなります。
そうした事態の時のために「踏ん張る力」を養っていると思ってください。
いつもお話しているように、困難に見えるその時こそ、「あえて、とりあえず、だからこそ」やってみるというスタンスが大事なのです。
固執する時間が減っているという、あなたの感想は私が日頃からお話している、辛さにフォーカスしすぎない、強い関心を持ち続けないということに通じています。
あなたは体験を通して学んできたことを理解しています。そうなると当初、食事について抱えてきた「こうあるべきだ」思考が緩んでくるでしょう。行動を阻んでいるのは、なにもパニック発作症状や予期不安だけのせいではなく、自分の中の「こうあるべきだ」ルールのせいでもあります。
パニック障害克服は抱えてきたものを取り払ってこそ、治っていきますからそうした自分の中のルールが緩んでくると、選択肢も増えてきます。
結果的に人間的にも余裕、深みが出てきますので、自分だけではなく、他人に対しても寛容な人間性が身に付いてきます。
それと、あなたは「フィルター」という言葉を使って、自分自身の今までの在り方について説明されています。対人関係でも深い気付きがあったようですね。
「パニック障害はギフトでもある」
私はあなたにこの言葉をあらためて送ります。
物事が起こる毎に、さまざまな反応を私たちはします。そして反応の仕方も人さまざま。同じような物事であっても反応がさまざまということは、人それぞれもっている考え、信念が異なるからであり、フォーカスしているところが異なるから。
「こうあるべき」が強ければ強いほど、フォーカスは絞られがちで、そこには自由がありません。
「こうあるべき」を強く持っている人は、どこかで常に真理を求め、正しさを武器に相手を責めたり、自分を上に立てる傾向があります。
傷付きたくない…という言葉の裏には、「他人にも、物事にもマウントを取られたくない」という独りよがりな自分がいることを謙虚に受け止めるべきでしょう。
「自分は知っている…いいえ、なにも知らないのだ、自分は」
そう真に思えた時、人はやさしく、物事についても寛容になれるのでしょうね。私もまだまだ修行の身です。
私が昔からブラさずに、 話してきている実況中継、気付きの方法は、こうした人間性を高めていく方法でもあるんです。そして、この思想のもとになっているのは、「不安のメカニズム」です。クレアウィークス先生のお話を、実践に移して得た宝物です。
この宝物を開けていなければ、10 年以上、乗り物に乗ること、食べることに恐怖していた自分が今もここにいるでしょう。
さて最後に。
あなたは理解が進んでいます。しかしちょっとした罠にハマっています。回復期特有の罠です。
理解してきているからこそ、陥る思考として…
「こんなにわかってきたのに、まだここで迷ったりしている、症状も不安もまだなくなったわけではない。どこか取りこぼしていないだろうか、大丈夫だろうか、また大きな発作でも起きたら、うまく対処できるだろうか…」
正しさを求め、今日起きている欠乏感を穴を埋めることに必死。そして理解に比例した、良い体感を得ようと必死です。また得てきたものを失うことを、どこかで怖れている思考です。
あるがままの今を受け入れてください。
昨日や自分の理想と比較して、自分をそれらの中に閉じ込めないように。
今日、自らに起きること、起きたことは、言うなればすべて「神様からの采配」です。
今日あなたに与えられた取り分です。それ以上でもそれ以下でもありません。
「今日はそういう日」として、自分慰めだけではなく、「今日だけの事」、「今日はそういう日なのね」として受け入れていきましょう。
今回お話していることは、誰にとっても大事な部分です。コピペして、スマフォにでも保存しておき、適宜繰り返し読むようにしましょう。繰り返しに勝るものはありませんよ。
おおむね順調といった印象ですよ。自信をもって進みましょう。これからも「修行」してくださいね(笑)