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Q114:起きたことに、あれこれ理由を付けない

aromayogameditationさんからの質問

 

富樫先生、お久しぶりです。3ヶ月ほど前にカウンセリングをしていただきました。あの後、すぐに仕事が決まり、良いお話だったので、後先考えずに行動あるのみと思い、週二回ほど短時間の時間講師のパートを始めました。

 

緊急事態宣言などあったので、5月半ばから始まり、1ヶ月たったところです。お仕事の日は一応頓服を飲んでから、行っています。

 

波はあるものの、ポジティブに色々挑戦できているなあと思っていたのですが、ここにきて、歯医者や苦手なイベントなどがあったからか、不安感がでると、朝お腹を下すようになってしまいました。

 

ここ、2ヶ月くらい、調子がよかったので、(夜も眠れるようになってきていた)このまま、また逆戻りしたら、どうしよう、、、という気持ちが出てきてしまいました。新しい事、今までやりたかったことを始める事ができて、うれしかったはずなのに、まだ慣れません。。。これは、セドナメソッドでいう抵抗にぶつかったのでしょうか。

 

これから、環境の変化(引っ越しなど)もあるので、自分の中に焦りもあるのかもしれません。調子が良い時は、発作が起きたら、その都度対処すればいいだけと思えていたのですが、実際、不安感がでると、ああまだ、自分の中でパニック発作を恐れているんだなあと感じます。

 

行動を起こして、一歩踏み出せた事に後悔はありません。こういった、不安の波も受け入れるしかないんですよね?

 

 

 

回答

 

 

 

色々とご自身の中で答えを見つけてみようとすると、歯医者や、苦手なイベント、引っ越しもこれからあるからかなぁ…という、いかにも辻褄があったような答えが今回のように見つかります。

 

たしかに、そうしたイベント事は時として神経過敏になる時なのかもしれません。しかし、実際は正しいかはわかりません。

 

大切なのは、「正しい何かを探らないこと」です。

 

探究はいっけん、安心に繋がるように思えますが、得ようとすれば得られないことに苦悩し、得られれば、まだ足りない、ハッキリしないことに苦悩することになるのです。

 

そのようなイベントのストレスよりも、「正しさを探る」事の方が神経にとっては休まる暇を与えません。

 

今回のことは、何にせよ…

 

ただ、それは起きたんです。

ひとつの、たまたま起きた「出来事」

そして、あなたはその出来事を体験した。

「体験した」だけなのです。

 

なんともボンヤリとした、ハッキリしない事に、人は不安になりますから、なんとか辻褄を合わせて安心を得ようとしますが、やがては欠乏感へと至り、今回のような疑問になるのです。

 

まだできていない私。

まだ怖がっている私。

 

結局、原因らしきことを探しても、このような欠乏感、怖れが出てくるわけですし、原因らしき事を繰り返して思えば、それがいかにも正しくみえてきます。結果的に、万が一を考えてそうしたイベントを必要以上に大きくとらえてしまうことになり、回避行動へと繋げてしまうかしれません。

 

ここは単に「出来事を体験しただけ」ととらえましょう。

 

今回のことは、色々と気付きはあったと思います。その気付きは気付きとして大切にしていただき、しかし「反省はしすぎない」ようにしましょう。

 

「今日はそんな日だった」

 

ただそれなだけ。

 

明日は明日の風が吹き

明日は、明日の自分に対処を任せ

今日の自分を明日に結びつけず完結。

 

まずはそう思えなくてもいいので、素直にそれをとりあえず思う、心がけてみてください。

 

回復を実感できてくると、心のどこかで、「もうこのままでいてくれよ」と思うものです。

 

調子がまた悪くなる、再発することを、安易にとらえられる人は多くないので、当然良くなってきてもしばらくは、心のどこかで、ぶり返しが起きないことを祈ってしまいます。

 

こんな時は「監視活動」をしているものです。

「今はたしかに大丈夫だ!」を確認しにいっていたりするものです。

 

でも、これも回復期の陥る罠。

しばらくはこんな状態もあえて受け入れ、浮かんで通り、またいつもの目的優先の行動をしていきましょう。時間に任せていくことが結局は妙薬なのです。