Q121:あなたの中にある「罪悪感」という名のストーリー

わたぼうしさんからの質問

 

中学二年の秋頃から、人と接する時や授業中など

人が至近距離に居る環境になると、唾液が止まらず、飲み込むにも口いっぱいになってしまい疲労困憊しています。

 

その唾液を飲み込む時にのどから音が鳴り、人に不快な思いをさせてしまっているという考えに囚われています。


その頃から人と一緒にとる食事も苦痛で、食事の場は避けて過ごしてきました。

この、飲み込む際の喉が鳴ってしまう事は、家族からも友達からも、全然気にする事ない。鳴っていない。と言われますが、信じられません。

この囚われからは、解放される方法はあるのでしょうか。思春期独特のものなのか、このまま成人しても続いていき、生活に支障が続くのか不安です。

 

 

回答

 

 

あなたの発端となった出来事は何でしょうか?

 

そして、その時にどんなメッセージを受け取りましたか?

 

どんな言葉を自分に投げて生きてきたでしょうか。

 

これらは今のあなたの個性を作り出しています。

自分はこういう人間だと。

 

そこで作られた「こうあるべき」ルールを手放していきましょう。それはその時には通用したルールであったとしても、今のあなたには必要のないものなのかもしれません。

 

自分を「不快な対象」としてとらえ、自分の一挙手一投足に気を配るのは、思春期ならではでもあります。

 

承認されたい欲求も強く、同じような悩みを密かに抱えている人は実は少なくありません。

 

中学生になれば、能力、容姿にも差を感じる時期です。自分を低く見積もり、それでいて高い理想像をもっているために、比較しては落ち込む事もしばしば。対人関係で悩む時期です。

 

人は常に安心していたい生き物です。

安心でいるためには、目立たないのも一策。

自分の喉の飲み込む音を目立たせてしまうのは、自分の安心を脅かされると思っているのです。

 

怖れることは何でしょうか?

今のあなたにとっては、すぐに出てくる回答かと思います。

 

それがどうしていけないと思っているのでしょうか?

 

そしてその結果、自分をどんな対象として見積もっているのでしょうか?

 

それは正しいことですか?

正しくないことぐらいはわかっていながらも、それ以上に怖れることがあなたにはあるのでしょう。それを手放していくことがあなたにとってはリスクがあることなのです。

 

しかし、その怖れも過去の体験から生み出したストーリーです。

 

そのストーリーを明らかにし、手放していくことが求められます。

 

強迫性行動は、完治までは焦らず、じっくりと自分自身に取り組む必要があります。

 

このHPの「おすすめの本」のコーナーで紹介しています「嫌われる勇気」をおすすめします。

じっくりと自分の在り方を含め、含蓄のある言葉と共に、理解を深めていってください。