umiさんからの質問
はじめまして。
15年ほど嘔吐恐怖症に悩んでいる22歳です。
自分が吐き気を感じたり吐いたりといったことは勿論、他人のでもダメ。
小学校3年生になってから現在までは実際に嘔吐をしていませんが、記憶にある嘔吐の場面でも多少の恐怖はあったものの、吐いた後に泣いてしまう程度でした。
現在は吐き気を感じるだけで動悸・体の震え・息苦しさ・不安等で、さらに気持ち悪くなってしまったり。
自分が吐いたら周りの目も気になるし、迷惑をかけてしまう。
吐き気や嘔吐で苦しんでいる人の介抱もできない罪悪感・・・。
わりと行動派なので(必ず1人になれるし、周りに迷惑かけない環境が確保できる)車なら買い物も旅行も行けますし、苦手ではありますが30分以内であれば1人でも電車に乗る事ができるので、不安を感じた時や長時間の場合は理解をしてくれている妹に一緒について来てもらったり。
他人との食事は「食べられない」という事を理解してもらった人達がいる場合のみ参加。
外食自体、食べられないのでほとんど行きません。食べて吐き気を感じて「今度こそ本当に吐くかも。」という事になるのが怖いんです。
死ぬわけじゃないんだから大丈夫!と言い聞かせていますが・・・。
ご飯も美味しく人並みに食べ、不安や恐怖に襲われる事なく日常生活を送る事が何故こんなに難しいのでしょうか。
まとまりのない文章で申し訳ありませんが、よろしくお願い致します。
回答
嘔吐恐怖症の人は、とても「恥」の概念がとても強い傾向にあります。あなたはいかがでしょうか?
吐く人を見るのも嫌なのは、自分があたかも吐いてしまっている光景をそこに当てはめているのかもしれません。
また実際に気持ちが悪くなり、吐きそうになるとき、吐くこと以上に、その自分をさらしてしまうことによる恥、そして申し訳ないことをしでかしたと捉えてしまう罪悪感にまで発展させてしまう。そんなところはないでしょうか。
自分への評価が低かったり、一方で相手が持つ自分への過剰なまでの評価を高く見積もりすぎていたり…
しかし「他人は誰もあなたのことを、そんな目で見ているほど暇ではない」と言われたり自分でも自意識過剰だなと思ってはいて、「大丈夫、大丈夫!」と言い聞かせて、自分を叱咤激励している様は、まさに精神的自傷行為に等しいです。
そうではなく、まず自分が嘔吐を連想した時に湧いてくる感情を自分の中から排除するのではなく、その感情が自分の中に存在していることをまず許しましょう。
その感情と共に湧いてくる、言葉もジャッジせず、取り消そうとせず、ジックリ味わってください。それがあなたの中にある未消化の感情を癒し、手放す準備になります。
「その湧いてきた感情を認めることができますか?」
その上で、自分に対して何を選択するのかを問いかけましょう。どうありたいのか。今すぐには無理でも、それは置いておき、どうありたいのかを言葉にして、その思いが自分の中にあることを許しましょう。
「そうした自分のありたい選択を持つことを、許しますか?」
嘔吐に関する思い込み、イメージ、湧いてくる感情、それらを手放し、自分を自由にさせてあげることを許したら、どんな自分でしょうか。想像してみてください。
自己実現に向けて一歩踏み出せる自分が想像できたら、その願望を得るには、恥や罪悪感など嘔吐に対するイメージから湧いてきた感情を手放したほうが良いですよね?
「その感情を手放すことを許すことができますか?」
あなたが本当に自由になっていいと承認できるなら、手放しましょう。どうですか?
「手放しますか?」
それはなるべく早く手放して自由になりたいですよね? 手放すことを先送りする必要はなく、それは今すぐにでも手放すことを選択することが、あなたには、等しく与えられています。どうでしょうか?
「いつ、手放しますか?」
「それは今ですか?」
赤字の質問に、イエスと素直に答えられているでしょうか?
答えられなくても構いません。
納得のいくまで自問自答していくうちに、ご自身の抱えている嘔吐に関する感情、イメージから自由になっていきます。様々に気付きもあるでしょう。
もしこの単純な質問に躊躇し、イエスと言い難いものがあるならば自分への疑いというよりは、自分自身が、何か自由になってはいけない縛りを抱えているかもしれません。
それらに気付いたら、手放すことを自分に許してあげましょうね。あなた自身がそれを許さないことには前に進めないのです。