あーママさんからの質問
いろんな場面で淡々と実況中継をし、今に戻ることを続けています。
そのせいか、私の主な症状、息苦しさ、不安感が来ても、前とは違って、客観的に捉えることが出来ていて、「またこれも時間と共に消えるんだよな」と、冷静な自分がいることを感覚的?に分かるようになってきました。
ですが、先生の言うように山あり谷あり。罠にはまりそうな時もあります(><)
GW前半に高速道路で実家に帰りました。全く何も考えず、楽しん行きました♪
ですが、GW後半にまた実家に行くことになり、私は子供たちと後部座席に。
あ、息苦しい。
吸っても吸えない感じする。
そして実況中継を。
息苦しい感覚にとらわれてるね~、
まあ時間にまかせよう。と。
するといつものように、時間と共に消えました。だけどまたすぐに息苦しさが。何度も、あまりにしつこいので、罠にはまり始めてしまいました。何度も大きい呼吸をしたり。
~になるかも、いつもと違うし。と。
さらには、高校時代のクラスメイトで過呼吸が酷い子がいたのを思いだし、私の今の息苦しさもそうなるのかと思考の暴走。
その子はパニック障害ではなかったと思いますが、過呼吸は酷く、呼吸音がするほどの酷い過呼吸持ちでした。
息苦しさと過呼吸は違いますか?分からないので想像で恐くなりました。先生の記事で、呼吸法は逆にとらわれる原因になると読み、私も同じ考えです。
なので息苦しさが来てもそのままにしています。でもすごい過呼吸に発展するんじゃないかと、初めて恐くなりました。
そんなこんなで、「久しぶりに慌てちゃったけど、それでも来れたし、今日はこんな日だった、これでよし!」とこの日は終わらせました。
難しいですね(笑)
実況中継は症状を抑えるためにやるものではないと理解しているし、そのためにはやっていません。
直面し受け入れ、浮かんで通り、時間にまかせる、本でも学びました。
でも人間。
あの不快感、過去の記憶、未来の予測、思考の暴走。条件反射のようにきて、一瞬で飲み込まれてしまう。
その中で戦わないこと、コントロールしないことがどれだけ難しいことかたまに感じます。
数稽古だと分かっていても、調子がいいと不快感の感覚を忘れかけているので、いざ久しぶりになると、また一から?…のような気がしてしまい…
難しいですが、でも!諦めません。
回答
この質問を読んだ時、どんな人も「わかるぅ!」と感想をもつことでしょう。
ある状況から、人がどんな解釈をして、どんな振る舞いをするのか。
そして言われてきたアドバイスをやってもなお、コントロールに必死になる自分を見つけ、かあたあ〜ぁ…」となるか。
私もそして、みんな同じ体験をしていることでしょう。
さて知的な理解は必要ではありますが、感覚的な理解がまず先にきます。
「何となく、こんな感じ?…なのかなぁ…?」
みたいな感覚。
あっているか、あっていないかは、わからない。
言葉にもまだできないけど、ただ自分の中で何となく…
それでいいんです。
知的な理解をあまり追い求めてしまうと、身体が動きません。
焦りながらも、恐怖におののきながらも、それを客観的にわずかながら、チラ見することができてきた、あー、見れなくはないのだ。そんな前とはちょっと違う。そんな感想を持っていただけていると思います。それでいいのです。
ただそうは言っても、症状はあって、それに直ちに反応してしまい、取り込まれてしまう自分もあって、山あり谷あり、大小様々に罠にもハマってしまうとき、人は弱いものです。
気分も落ちますし、モチベーションが下がり、他にも何か良い方法は無いだろうか…と考えてしまいます。でもそれも人間だからです。それが普通。
そんな時にこそ、「浮かんで通り」「時間が経過するのに任せる」を当てはめて、そんな時を受け入れてください、ジャッジすることなく。
一方で、「消えては現れるを繰り返す…ただそれだけのもの?…なのかも!?…」
とも思えてきていることでしょう。それが事実なのですが、もうしばらく行動と共に、その結果と照らし合わせみてください。いずれ腑に落ちてきます。
でもでも!
それでも不快からは逃れたくなる自分もいます。それを打ち消そうとすることはもちろんなく、それをそのままにしておく事が大切なのです。
さて息苦しさと過呼吸は、どちらも息苦しさと言う意味では同じです。しかし私たちが感じるのは慢性的な息苦しさ。何か呼吸し切れていないような…
ただどちらもその症状から予期不安が起き、その予測がさらに呼吸を乱す悪循環を引き起こします。それは今回の体験でもわかっているかと思います。
症状は単独で起きてはいるものの、その存続を許し、さらなる恐怖感を増していくのは、自らの内側から湧き出てくる「解釈」からなのです。
そして「難しい」というのは解釈です。
確かに事実は簡単ではありません。難しいのです。
しかし見方を変えれば、難しいのはある部分。そして難しい事だけではないのかも?と思える部分もあるのです。
どこをみて難しいという解釈、感想となるのか。どこを見たら難しさだけではない、「なるほどね」とわかる部分もあるのかをみたら、この訓練は難しい部分もあるけど…なるほどねもある。これがこの訓練の事実です。
諦めず、淡々と訓練を通して感覚的、知的理解を深めていってくださいね。
上手くいってますから、あれこれ心配せず頑張って下さいね。