Q149:一番の敵は自分が作っている

ららさんからの質問

毎日不安や小さい発作症状はありながらも、何とかお薬の力を借りて生活できています。

以前は怖くて仕方なかった交差点も、毎日毎日利用しているうちに怖い、不安な対象ではなくなりました。

お薬はまだ必要ですが、少し前進できたのかなと思っていたところです。

そんな中、先日家族でショッピングモールへ行った時、突然強くて逃げ出したくなるような不安感に襲われ、血の気がサーっと引いて吐き気がする最近では珍しい強い発作が起きました。

場所はショッピングモールの真ん中、近くに椅子やトイレはなくて、焦りに焦ってしまって直面して受け容れるどころの話ではありませんでした。

神様のお試しだ、とどこかで分かってはいても早く症状をなくしたい、逃げ出したい、という気持ちが大きくて結局その場から逃げ出してしまいました。

逃げてしまった自分が悔しいし、抗不安薬を飲んでいたにも関わらず大きい発作が起きた事がとてもショックでした。その後は絶望感というか、「薬飲んでも発作出るんならダメじゃん。やっぱりSSRIに頼るしかないのか。いっそのことお薬に頼って早く治したい。楽になりたい。」と負のグルグル思考が止まりません。

家族と楽しく買い物をしたい、パニックの事なんて気にしないで生活がしたい。それができない私はダメな人間で、ダメな母親で、子供達に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

今、このタイミングでカウンセリングを受けた方がいいのでしょうが、富樫先生から言われる事も大方予想がつくので怖くてカウンセリング予約を入れることができません。一歩前へ進む為に、喝を入れていただけないでしょうか。
よろしくお願いします。


回答


日々の生活、苦手な状況も少しずつ変化の兆しがあるようですね。

しかしこうした変化があってもなお、時として起きてくる不都合な事態というものがあります。

突然にしてそれは起き、思っている以上のダメージと戸惑いを与えてしまうことがあります。

そんな時はどのようにして、この事態を乗り越えていけば良いのか。

あなた自身のご質問の主旨かと思います。そして今回のあなたの希望として、前進するための喝を入れてくれとの事ですから、少々耳が痛いことをあえて言います。

どうか内容に対しては感情的にならず、よくよく読み取っていただき、ヒントにしていただけたら幸いです。

さて内容を読ませていただき、私の印象は、あなたは少々、薬を目の敵にしている印象を感じます。

そして薬に頼る自分はダメだと繋げてしまって、薬の本来の役割を履き違えているようにも見えます。

今抱えている悩みは、薬では治りません。そしてSSRIを使ったからといって、この先、今回のような突発的な発作症状が出なくなることも保証されません。

薬は自分自身をちゃんと見つめるための時間的猶予を与えてくれるためのものです。

そこをちゃんと見つめ、自分自身のあり方を再編成できた時、今抱えている辛さから解放されます。

薬は症状ではなく、その時の自分の在り方を見つめる、心の余裕をつくりだしてくれます。

自分自身をかえりみる事なく、症状だけを目の敵にしてしまうことほど、愚かなことはなく、病気の存在を履き違えています。

あなたの根本には、理想というもの、もしくはあるべきと思っている人間像から外れた人間は、人間として成ってない、いけない存在だという強いレッテルが自分に貼られているということに気付くべきです。

強くならねばと必死です。
弱い部分をちゃんと見ていますか?

あなたの役割は強い存在でなくては評価されないと思っているのでしょうか?

逃げること。
ちゃんとできないこと。
頼ること。
弱いこと。
見本になれないこと。
ラクをすること。
ネガティブなところ。

そんな自分、そんな人間はダメ。そんな風に自分自身に不自然な強制力を与えすぎているようにも見えますよ。あなたの怖がりな部分が泣いているようです。

辛いです、それ。

まさかとは思いますが、あなたの小さなお子さんに、このような事を強いてるようなところはないですよね?

ちゃんと!ちゃんと!ちゃんとしなさい!

息が詰まりますよ、そんな生き方をしていたら。

「そんな時もありなんだよ、それが人間ってものなんだよ」

子供にも、そして何よりもあなた自身が自らに、そんな自分もありなんだよ。そんな自分も、自分の一部なんだよと、その部分も含めたものが、「自分そのものなんだ」ということを受け入れていくべきです。

良いも悪いもないのです。
人は、とかくジャッジして物事を批判することを当たり前のようにしてしまいますが、それは真実を見失ってしまいます。

それは時として他人を傷付け、自分自身をも傷付けます。

世間とか、常識とかそんな基準は抜きにして、あなた自身にある、さまざまな顔を受け入れていきましょう。

それともう一つ。
あなたは家族、子供のことをよく考えています。だからこそ今抱えている辛さを早くどうにかしたいと必死になって努力を重ねています。それはそれで賢明なことです。

しかし、その辛さを自ら作り、存続させ続けているのは、あなた自身が自分を見る姿を醜いものとして見ているからではないでしょうか?

あなたは努力を重ねてきました。そして効果も出ています。しかし時として、今回のような、今までにない強い発作症状を感じることもあるのです。これはクレア先生も言っていることです。

その時は大変、戸惑い不安にもなります。一時的に悪化しているような感覚にもとらわれ、できてきたこともできなくなってしまう事態も起こりえます。

でもこれがパニック障害であり、治っていく過程であり、治るのに必要な材料になっているのです。

あなたはその材料を、枯れ木のごとく、ぞんざいに扱ってはならないんです。

私はよく言っている、「すべてはギフトととらえなさい」というのは、この事です。

人は体験を通してでしか、学べません。知識で学んだことなんて、実際の体験と比較したら、どんなにちっぽけな事か。

あなたは今回、ある体験をしました。学んできたことが実際に良いも悪いも、その通り起きました。

そして特に、自分にとっての不本意な体験こそが、あなたの成長、前進に繋がるのです。

そんな辛さの中でも、なおそんな状態を浮かんで通り、時間の経過に任せていく、この間の時間の過ごし方が大切なんです。

カウンセリングを受けて、私から言われることもわかっていて、それを聞くのが怖いのは、あなた自身がそれを自分でちゃんと見つめていない、直面できていない部分を十分わかっているからですよね?

あなたは自分自身に素直になることに、何を怖れているのですか?

時として上手くいかない。あなたにとっては失敗だ、水の泡だと思う、そうした状況も存在するのが、私達が自ら前進を選択したときに、それらも同時に受け入れていく必要があるのです。

すべては前進、変化に必要な材料。つまりギフトです。物事には表と裏があってひとつなのです。

今回のお話のことをヒントにしていただき、見るべきポジションを少し変えていただければ、何の薬を選ぼうと、頼る、頼らないという選択をどちらにしようとも、回復はします。今回のお話をよくよく理解し、吟味することを期待します。