Q152:葛藤を抱える時間があってもいい

yyymi0714さんからの質問

私は少し前からブログを書いていたのですが、色々な思考が湧いてきます。

以前富樫さんのブログの中で「反応しない事をしていても意味がない」というような内容を思い出し、これだっ!!と思ったのです

『変に思われたらどうしよう』
『笑われたらどうしよう』
『馬鹿にされるんじゃないか』
『認められたい』
など

そんな思いを上の方に置き、毎日目の前の生活を送っていました。

ですが、そんな事を感じながら生活しているのに嫌気がさしてきました

なんでわざわざこんな不快を感じに行って居るんだろうと

何の目的でやっていたのだろうと

辞めるという選択もありながらも

辞めるという事は
『逃げる事になるんじゃないか』とか『また駄目だったと思うんじゃないか』

という思いに引っ張られてしまいます

これも過去の考えの再生だと日常に戻りたいのですが、

本当に逃げる事になる気もするのです

私にとって4原則すら出来るようになる事が安心になっていて

今は上の様な思いを再生させながら、生活しています

大丈夫な人間になっておきたいんだと思います

ただの感想になってしまいました

おかしな方向へ行っていたら教えて下さい


回答


パニック障害を克服するには、恐怖や不安を避けるような行動、いわゆる「回避行動」はやめなくてはいけません。

「あえて、とりあえず、だからこそ」で、怖かろうが、予期不安が強がろうが、そこに入っていき、それらに直面して、受け入れて、浮かんで通り、時間の経過に任せていく必要があります。私もこれで治し、これを今でも指導しています。これからこの基本ラインは、ブレることはないでしょう。

しかし、一方でこれはとても雑な言い方です。知らない人からしたら、到底できるはずのない芸当を示しているように感じられるでしょう。しかしながら、この裏に潜むシステムは複雑で、さまざまな心模様との折り合い、受け止めかたが知識として伴っていないと、単なる根性論で治す方法と誤解されかねません。

「慣れで治す方法ですよね?」と言う人が、クライアントさんのみならず、同業者でもいってくる人がいて、パニック障害という病気の性質と、この療法のことを表面上しか知らないんだなと思うところです。

この方法はとても古典的で、曝露療法とか、エクスポージャー、行動変容法、行動修正法などと呼ばれてきました。現在ではクライアントさんへの負担が強いという大きな誤解(カウンセラーがしっかりとしたケアに時間をかけられないだけのこと)から、安直なセラピーに流れる傾向に同業者ですらあります。世も末です…

さて、今回のご質問というかコメントですが、「辛い事をあえてやることの意味」について迷われているのでしょうか。

辛いからやめるのは、勝ち負けとか逃げなどと解釈しているのは、あなた自身です。「勇気ある撤退」などという言葉もあります。

しかしながら、撤退したあとはどうするのか?
そこにはどうしたいのかが問われています。
もうどうでもよければ、そのまま撤退しておけばよろしい。でも戦略を立て直し、再度前線に向かうことも選択肢としてありでしょう。

あなたが取り組んできたことは、パニック障害を「ちゃんと治す」のであれば必要なことです。算数で言えば「九九」です。ここが理解されずに進めば、ほかのどんな方法を取り入れても、まぐれで上手くいくときがあっても、完治は到底望めません。

しかし一方で、雑な言い方をすればパニック発作を起こして死ぬ人はいません。パニック障害という病気の性質上、死に至る病ではなく、慢性化していくとそれなりに、その人もその状態に合わせた生活をしていくので、なんとか生活が成り立っていきます。なのでしっかりとした治療を受けずに生活できてしまうところに、安直な方法に依存することになり、本人も「わざわざ辛い思いをしなくても生活ができているんだからいっか…」となるのです。

しかしパニック障害という病気、そんなに甘くはありません。人は人生という時間の中で、さまざまな事態に遭遇します。時にそれに強制的に流されてしまうこともあります。ある時とんでもない発作を起こして、一気に仕事も生活も失う人がいるのです。安直な方法、つまりその場しのぎの方法でやってきた人は、そんな時大変なのです。

例えば、今年になってコロナが蔓延しました。一時カウンセリングの依頼が殺到しました。その中には久しぶりに受ける方も少なくなく、そんな人のほとんどが、途中ドロップアウトした人だったり、他の方法で何とかしのいできた人達でした。無論、そのような方を非難する権利は私にはありません。その方の選択ですし、どのように治すのかは、最終的にその人の判断なわけですから。

でも言いたいのは、心の仕組み、パニック障害など不安、恐怖症の仕組み、その過程で起こるさまざまな心模様に対する対処のあり方などが、私の過去の実体験も含めて、私が指導している行動練習(曝露療法など)の中に含まれています。そうした事を学びながら進む方法であるということ。そして、あなたはその方法にのっとってやってきたということです。

安直なその場しのぎの方法では、そのようなところまでフォローできないのです。呼吸法、アロマ、催眠、自律訓練法、食事療法、自然石、スピリチュアルなど、どこまでフォローできますか?そしてフォローしてもらえていますか?

セミナーに行ってお話を聞いて、本を読んで、グッズを買って…終わりになっていませんか?

安直な方法がすべて悪いと言っているのではありません。勇気や慰めをもらえる要素もあるのでしょう。しかし、それらも「算数の九九」があってこその話です。

安直な方法はそのあとでいい。みんな取り組む順番が逆なのです。急がば回れが、なかなか受け入れ難いのは理解しますが、結局安直な方法はどこまでも安直なままです。

なぜここまで熱く言うのか。
私もかつては、その場しのぎの方法で10年費やしてきたからです。まったく治りませんでした。今となってみれば、あの10年は、ある意味自らを、本当の崖っぷちに追いやるために必要な時間だったのかもしれません。それまでは、クレア先生の方法を知っていても、本棚の奥にしまわれた、その本は10年後にやっと開いたぐらいです。

諦めるための10年だったと思えば、その道に浸る人も必要な時間なのかもしれません。

本質を知るのは怖いものです。
安直な方法に流れてしまうのも人の弱さというもの。そして弱いのが人間です。私も散々、流されてきたわけですから。

しかし、弱さを受け入れつつも、流されていいわけではないと私は思うのです。それはパニック障害を完治してから、余計に強く思うところです。

物事の本質を突いたものは大変厳しい。しかし、それを理解し、それを取り入れることは、あらゆる危機から守る基盤となるのです。

洪水が起きて大変な目に遭い、対策として網を張るかコンクリートの壁を築くかぐらいの差がそこにはあります。目的は魚を捕まえるのではありません。

あなたには迷いがあります。
私にも、そして誰にでも何度か起こる迷いです。
だから、その迷いはいけない事ではありません。ここからまたどのように進むべきなのかというより、自分はどのような方向に進んでいきたいのかが問われています。

迷いがあるとき、そもそも治療に何を目的としているのか。よくよく考え直した方がいいです。どちらの答えであろうが、それはあなたの選択であり、良い悪いではありません。単に生き方の選択をしたまでです。どちらを選択しても、あとでやっぱりあの時こうしておけば良かった…と思う日もあるかもしれませんし、ないかもしれません。

今回のあなたの迷いは、逆に「迷い側」があなたに、どうありたいの?どうしたいの?と質問しているのです。


「あなたが絶望しても、絶望はあなたを諦めていない」


私はこの言葉が好きです。
絶望とは言わないまでも、諦めたくなるときだってあるでしょう。私も何度もありました。 

言い換えれば…

「自分が諦めたとしても、諦めは、あなたを諦めてはいない」

今回の回答は、あなたや読者を非難しているのでは決してありません。私も過去同じような葛藤を抱えてきました。しかも何度も。その度に安直に流れ、本質を見ないフリをしてきました。

でも!
だからこそ!
の今回の回答です。
長くなりましたが、回答の意味するところを少しでも受け取っていただけたら幸いです。