mikinkoさんからの質問
電車や美容室、歯医者など自由がきかない場所が苦手で発作に繋がっていたのですが、ある日1番安全だと思っていた家でパニック発作が夜中に起こり、周りに誰もおらずとても怖い体験をしました。
それから1人でいる事が怖くなり、安全だと思っていた家でも1人になると、発作がきたらどうやって発作をやり過ごしたらいいのだろう?こわい…と思い毎日とても辛いです。
旦那や母がいると、この2人の前では何度もパニック発作を起こし発作をやり過ごせたという体験があるからか、不安感もなく、むしろ、安心して過ごせます。
たぶん、1人でいる時もパニック発作を受け入れやり過ごせた体験を得れば克服できるのだと思いますが、いざ1人になると、なったらどうしよう。こわい。
あっ、嫌な感じがきた!こわい。どうしよう?1人だし誰にも助けてもらえない。と怖くなります。
どうすれば、1人の時も安心して過ごせるようになるか知りたいです。
回答
今まで公の場が、苦手な場所だったのに、何の理由もなく、いつもと違う場所や、一番安全だと思っていた家などの場所で出てくると、大変びっくりしてしまいますよね。
理由は特になく、パニック発作の性質上、ありえる事態です。しかしながら、それが思ってもいなかったところ、安全だと思っていた場所で起きれば、逃げ道を閉ざされた感覚にもなりますから、その後は、今まで以上に神経を張り詰め、監視活動に入ります。
常に倍率のいい双眼鏡で、自分の内面、外の状況を監視していくようになるのです。見つけた、ほころびは前にもあったはずなのに、些細な事にまで発作と結びつけるようになるため、安全な場所すら閉ざされた気持ちになります。
「家ですら、恐怖でいっぱいになる時があるんです」
そう悩む方は少なくありません。
人は安全、安心でありたいのです。そんな場所でパニック発作が思いもかけずに起きたとなれば、怒りと同じで、自分の安全、安心でありたい欲求が脅かされたということなのです。
しかし、家を安全、安心と決めたのは自分自身であり、外は危険と決めたのも自分自身です。
事実は家は家。外は外。
な!
だけ!
です。
安全も安心も、そして危険すら本来ないのです。
すべては自分が、決めたことに従ってきて、ある日、そうではない事が起き、安全、安心欲求が揺らぐ時、人は不安や恐怖となるのです。
さて発作症状が、家で一人でも出ないようにするには、どうしたらいいのかという視点で、常に考えがちですが、それはかえって監視活動を強めることになり神経の過敏さは緩みません。
発作症状が起きても、外と同じようにやり過ごすことができるようになり、嫌だけど、まぁ大丈夫という状態していきましょう。
助けてもらえる、もらえないという2つに1つという捉え方は、この場合、得られなかったら?と意識が向いてしまいがちです。条件公式を作らないようにしましょう。
助けてもらえないと考えてしまう、こんな場所でも、私は、これはできる、これもできる、あれはできる、あれもできる。というものを見つけていきましょう。
「できる」というのは小さなことでいいんです。
一人でいても、トイレには行ける。歯だって磨くことはできる。顔も洗えるし、料理も作れる。当たり前と言われることであっても、怖いながらも、やってる、できてることに、ちゃんと意識を向けましょう。
怖いからできないではなく、できないと思っていると、かえって恐怖は増すのです。以前の自分と比較せず、今がありのままの疑いようのない自分なのですから、戦えば負けます。
当面は怖さは否定せず、ありのままの今でできるところを、ちゃんと意識し丁寧に「生活をする」ことを実況中継法と共に実践してください。
そうしていくうちに、恐怖がありながらも、物事ちゃんと進めている自分に気付くでしょう。その結果として、一人でいることへの怖れの感情に強い関心を持たずに生活できています。