snowさんからの質問
とがしさん、こんにちは。
質問させてください。
私は、どうも不安を自ら作り出してしまうところがあります。
最近、日常の中であまり不安を感じなくなってきていたのですが、そうなると逆にそのことに違和感を感じて(脳が、あれ?不安がないぞ?と感じているようです)
不安の種を自ら色々と探し出してしまい、結果苦しむという悪循環になっています。
あと、以前頓服を飲んだ時も、発作が起きないことが逆に違和感を感じ(もちろん発作は最大の恐怖であるにもかかわらず)、不安を自ら引き起こしてしまうということがあり頓服を飲むのを止めました。
こういったことは、とがしさんはありましたか?
恒常性維持機能のせいでしょうか。
これは一時的なものなのでしょうか?
これを乗り越えるにはどうすれば良いでしょうか?
よろしければお答えいただけると幸いです。
宜しくお願い致します。
回答
ご質問にある状況は、回復期の人など、不安や発作症状がだいぶ減ってきて回復を意識しはじめた状況の人に多いです。
私も回復を意識した頃、しばらく同じような悩みを抱えたことを覚えています。
これは理由は明らかです。
長年の間、慢性化している症状を抱えていると、いざ回復を意識したとき、嬉しい反面、心許ないのです。
なぜならば、今までずっとそれと共に生きてきて、ある程度の対応はパターン化されており、「分かっている安心感」とも言うべきものを持っているからです。
ですから回復して意識しなくなると、それこそ「嵐の前の静けさ」とばかりに意識するようになるのです。それは安全・安心欲求がいまだ根強くあるからです。
それらがあった頃は対応策も分かっている反面、いざそれらが無くなると、今度は不意打ちを恐れるわけです。そうなると無意識に、備えておきたいという安全・安心欲求が高まり、自ら「監視活動」をしはじめます。
重箱の隅を突っつくような些細な不快感でも、発作の芽を潰そうと必死になります。
こうした時期は、誰もが発症当時やっていた罠に、再度ハマるのです。
この事にほとんどの人が気付きません。
その罠は「戦ってしまう」罠です。
そのような対応から常に何かを探そうと必死です。これは受け入れ姿勢というより、まさに戦いに備えているのです。
不安なことを考えてしまうのが辛いというより、不安があった方が、むしろ備えることができるので安心。むしろ不安を探しておきたいのです。臨戦態勢にいつもあるのが、今のあなたです。
すべては安心・安全のためです。
おかしなことではありません。
少し感度が高いんですね、まだ。
どこかで回復している自分を信用できていないのです。
そこでこうした時期をどのように乗り越えたらいいのか。
今まで述べてきた仕組みを理解し、戦っている自分に気付くことです。
監視活動は「備え」なのです。備えは万が一を常に考えることに繋がり、いざとなったら戦う気満々です。「そんな自分が今いるよ、気付いているから」とツッコミ、実況中継をしておきましょう。
安全でありたい、安心していたい自分を意識しましょう。
そして、はたして今危険なのか?と自分に問いましょう。答えを出す必要はありません。ただ問うのです。自分にツッコミを入れましょう。
すべては安全・安心でありたいところから来ているので、今しばらくはこのような不安の放射はあるでしょう。そのたびに自分に優しくツッコミ、気付きを入れていくことをくりかえしましょう。
今見つけ出してしまう不安ごとは、備えるための、あなたが仮に作り出したストーリーです。
何も自ら悪さをするものではありません。自らの創作であることをしっかり理解しましょう。
あなたは実質的には危険な状態にありません。
あなたの中の思考だけが危険な状態なだけです。
そうした状態にある場合、考え事をどうにかしないことです。コントロールしようとすれば、余計に思考は湧いてきます。
「こんにちは!そう考えただけ!だよね」と、大きく構え、深刻に対処しようとしないことですよ。
こうした自分の不安を自ら、あおる人は少なくありません。基本は戦わないこと、今の状態を不思議に思い、取り除こうと必死にならず、その度に気付きを入れていきましょう。