とがし先生の言うように 実況中継がいつしか、これをすれば 不安や発作を取り除いてくれるものとして扱いやっていました。
そこで また先生のブログを読み返しながら 自分の不安に気づき受け入れる事を頭に入れながら 実況中継をやる様にしてます。
ただ やればやるほど分からなくもなってきてしまい、また質問させていただきます。
ブログにも書かれてる 不安や不快な症状はどこで起きてるか、それを感じる。とありますが、私はそこに気持ちを向けると その症状が大きくなってしまう事が多いです。
車に乗り 娘を送るときに、なんとなく ふっと沸いてきた小さな不安に対して 「不安なんだよね。緊張してきてるよね。大丈夫だよ 」と実況中継を始め 自分の体のどこが 緊張してるか 不安がどこが1番強いか見ようと 感じてみようとしながら「ドキドキしてるね あーここが不快だね わかってるよ 」と感じたことを実況中継します。
すると 始めは軽かった不快や不安が 感じようとすればするほど 増してしまうきがしました。感じなかった 事まで掘り出してしまったかのような感じです。。。
実況中継を始めるのが早かったのかな?などと思い、小さな不安が押し寄せてきた時に 自分の中で
今始めるか? 不快感はどこ?体が反応したら始めよ?!
今の自分は 不安のどこにいるのか などと 始めるきっかけに戸惑ってると 不安や不快を呼んでしまってるきがします。
実況中継のタイミングがわからないのか
不快な場所に自ら意識するのではなく 自然に押し寄せて来るのを待つち そこを感じるべきなのでしょうか?
やり方により 不安が増すこともあるのでしょうか?
回答
実況中継がどうも、自分への言い聞かせ、自分を大丈夫と言い聞かせている方向に向けているように思います。本音は大丈夫ではないので、いくら大丈夫と言っても、それは言えば言うだけ、大丈夫ではない自分を意識してしまうことになります。
あくまで実況中継は、自分の今のありのままの「状態」だけを言葉にする「作業」です。安心な気持ちにさせるためにやるのではありません。そこに情は入りません。ある意味、非常に機械的なものです。
また不快な場所に自ら意識するというのは、見方を間違えれば、用心のため、安全のためにと、わずかな兆候を見つけ出すことになるので、それは正しくありません。
おそらく、長年の癖からくる見方をしてあるのかもしれません。わずかな兆候も逃すまい、見つけ次第、締め出しておきたい…そんなところなのではないでしょうか。
症状の兆候や、今、不安を感じているかどうかと見つけ出すことで実況中継していくのではありません。
それがやってきたときに、やるのであって、やってくる前から、大丈夫か?私は大丈夫なのか?と常に「監視」しているようではいけませんよ。「監視」ではなく、やってきたものへの「観察」です。
また今まで避けてきたものを、今まさに見ているからこそ、症状を大きく感じてしまうのは無理もありません。ただ、大きくなった、小さくなったと比較するのではなく、大きく感じ取っている今の自分のありのままの状態を観察し、実況中継していきましょう。