すみさんからの質問
日々の生活で家を出たり入ったりと用事を作って外出ております。日によれば、送り迎え、買い物、友人とのランチ、ちょっと遠くのショッピングモールへ車で、美容院、お使い、etc…日によって行く所が違いますし数も違います。が引きこもっていないと言えると思います。
「明日はどこに行こうかなぁ」とどちらかといえば出たがりです。健康な時は毎日でもバタバタと忙しくしている事が好きでした。
身体症状意識せず、日々の生活をして忘れた頃に今回の疑問がやって来ました。何が理由かわかりません。家族と一緒だからとか1人でとか、それもわかりません。
時々、1日のうちに何度も家を出たり入ったりをすると夕方になるとどっと疲れが出て、何もすることが出来なくなり、息苦しくなったり、寝込む状態になります。体力的に疲れてはいない事は気がついています。動けるんです。精神的に疲れて動けないのです。こんな時も家事ができるのです。いつもは次の日にはこんな事は忘れて普通に戻るのですが、今回はつまずいてしまいました。
『「何々せねばならない!」と言う用事が多い時に夕方になると疲れるのだからたくさん用事を作らない方が良い』と人に言われました。又、「日々のんびりしているので体力がない」ということも。
私はなんだかこれは違うと思うのですが、どこかに思考の癖があるのではないかと思うのですが、どう考えて良いかわかりません。
自分で気ままにあちこち動き回る(好きな事ばかりする)ような外出と頼まれてあちこち動く外出は、私の捉え方に知らずの内に違いが出ているのでしょうか?
せねばならない行事が3日続く日が近づいてきますが、途中で寝込んでしまったら…とここにきて、予期不安、思考の暴走に入ってしまいました。
アドバイスをお願いしたいです。
回答
パニック障害の人は不快感にとても敏感です。
なかでも日常、普通に感じられる行動による疲労感を嫌う人は多くいます。
あなたが何も症状を意識せずに行動してきたつもりであることは、読んでいて伝わってきます。
しかし、きっと心のどこかで、このままの自分であれ!と願っていることも伝わってきます。
疲労をひそかに恐れているのです。
疲労になれば、自分がどうなるか、どうなりやすいのかは十分にわかっているはずであり、そうなれば疲労を意識したくないといったところでしょう。
まだ自分の感覚に脅かされている状態にあります。背中に尖ったものを突きつけられながら、前進しているところがあるのかもしれませんよ。
これが決していけないということではありません。自分の思いとは裏腹に、症状を受け入れているつもりでも、恐れはまだ付いてまわっているということを自覚しておきましょう。
またこうした回復期で、自由な行動ができ始めた頃に、昔の習慣に戻そうとする無意識の抵抗が出てくる時でもあります。
嫌だと言いながらも長年親しんだ思考のパターン、辛いと言いながらも、症状があることで、その症状を基準にした日頃の生活リズム、対応方法で生活できている。これらはある意味、自分でコントロールできてきた部分でもあるのです。
それが思考も症状も、以前と比べて無くなってくると、ラクになると思いきや、一方で自分をコントロールする指標のようなものが無くなることで、不安を探してきてしまうのです。
何もかもがフリーになってくると、症状探しをやっていたり、思考の反復が繰り返されるようになってきます。
そうした時の考えは単なる考えにすぎないので、それはただ「そう考えただけにすぎない」とその思考を自らに縛り付けておかずに、手放してください。つかむことなく、追うことなく、好きなようにさせておくことが重要です。
解明しようとしてはいけません。
どうしても思考の癖で白黒ハッキリさせたい思いも手伝って、あとで思い返してアレヤコレヤと考え始めたりといった傾向の人が、パニック障害の人には多く、放置しておくということが苦手な人が多いようです。
これは回復への抵抗でもあります。
罠ですので気を付けましょう。
日々の生活で家を出たり入ったりと用事を作って外出ております。日によれば、送り迎え、買い物、友人とのランチ、ちょっと遠くのショッピングモールへ車で、美容院、お使い、etc…日によって行く所が違いますし数も違います。が引きこもっていないと言えると思います。
「明日はどこに行こうかなぁ」とどちらかといえば出たがりです。健康な時は毎日でもバタバタと忙しくしている事が好きでした。
身体症状意識せず、日々の生活をして忘れた頃に今回の疑問がやって来ました。何が理由かわかりません。家族と一緒だからとか1人でとか、それもわかりません。
時々、1日のうちに何度も家を出たり入ったりをすると夕方になるとどっと疲れが出て、何もすることが出来なくなり、息苦しくなったり、寝込む状態になります。体力的に疲れてはいない事は気がついています。動けるんです。精神的に疲れて動けないのです。こんな時も家事ができるのです。いつもは次の日にはこんな事は忘れて普通に戻るのですが、今回はつまずいてしまいました。
『「何々せねばならない!」と言う用事が多い時に夕方になると疲れるのだからたくさん用事を作らない方が良い』と人に言われました。又、「日々のんびりしているので体力がない」ということも。
私はなんだかこれは違うと思うのですが、どこかに思考の癖があるのではないかと思うのですが、どう考えて良いかわかりません。
自分で気ままにあちこち動き回る(好きな事ばかりする)ような外出と頼まれてあちこち動く外出は、私の捉え方に知らずの内に違いが出ているのでしょうか?
せねばならない行事が3日続く日が近づいてきますが、途中で寝込んでしまったら…とここにきて、予期不安、思考の暴走に入ってしまいました。
アドバイスをお願いしたいです。
回答
パニック障害の人は不快感にとても敏感です。
なかでも日常、普通に感じられる行動による疲労感を嫌う人は多くいます。
あなたが何も症状を意識せずに行動してきたつもりであることは、読んでいて伝わってきます。
しかし、きっと心のどこかで、このままの自分であれ!と願っていることも伝わってきます。
疲労をひそかに恐れているのです。
疲労になれば、自分がどうなるか、どうなりやすいのかは十分にわかっているはずであり、そうなれば疲労を意識したくないといったところでしょう。
まだ自分の感覚に脅かされている状態にあります。背中に尖ったものを突きつけられながら、前進しているところがあるのかもしれませんよ。
これが決していけないということではありません。自分の思いとは裏腹に、症状を受け入れているつもりでも、恐れはまだ付いてまわっているということを自覚しておきましょう。
またこうした回復期で、自由な行動ができ始めた頃に、昔の習慣に戻そうとする無意識の抵抗が出てくる時でもあります。
嫌だと言いながらも長年親しんだ思考のパターン、辛いと言いながらも、症状があることで、その症状を基準にした日頃の生活リズム、対応方法で生活できている。これらはある意味、自分でコントロールできてきた部分でもあるのです。
それが思考も症状も、以前と比べて無くなってくると、ラクになると思いきや、一方で自分をコントロールする指標のようなものが無くなることで、不安を探してきてしまうのです。
何もかもがフリーになってくると、症状探しをやっていたり、思考の反復が繰り返されるようになってきます。
そうした時の考えは単なる考えにすぎないので、それはただ「そう考えただけにすぎない」とその思考を自らに縛り付けておかずに、手放してください。つかむことなく、追うことなく、好きなようにさせておくことが重要です。
解明しようとしてはいけません。
どうしても思考の癖で白黒ハッキリさせたい思いも手伝って、あとで思い返してアレヤコレヤと考え始めたりといった傾向の人が、パニック障害の人には多く、放置しておくということが苦手な人が多いようです。
これは回復への抵抗でもあります。
罠ですので気を付けましょう。