ゆ☆んさんからのコメント
先日はカウンセリングありがとうございました。
また予約をしようと思ってるのですが、今浮かんでる気になることがあるので、先にこちらで質問させてください。
いつも似たりよったりの質問になってしまいますが。。日常、何でもない時にフワッと違和感が生まれ、吐き気や頭のフラフラ感で出るときなどは、実況中継がすごく意味ある行動になり、いやそもそも今!に気付けるのですが。
わたしは嘔吐恐怖感がとにかく強く、本当に体調不良で胃がムカムカして気持ち悪いとき、いよいよ吐くか?!ってなるともう思考は暴走で吐きたくない。吐くのが恐い。の気持ちが一気に強まりパニックになるのですが、こんなときは、そもそも今気持ちが悪い。吐きそう。しか気付けません。もう何しても恐いのです。
いよいよ吐くか?ってなる場面までは、ちゃんと吐くことは大事な排泄行為で悪いものを出して体を守ることだから仕方ない。
イヤだけど不快だけど、吐くときは吐く。吐きたくなくたって出てくるときは出てくる。自然に任せるしかない。諦めるしかない。吐いた方が楽になる。という事実を受け入れてるつもりなのですが、、
いざ、胃腸炎や食べ過ぎなどで吐きそうな場面に出くわすと、その事実を一切受け入れられない自分がいて、それに気付きます。
気付いたときにはもう冷静さを失いパニックです。吐いたら楽になるのに、その先を越えたくなくてもがいてしまうのです。
わたしは一体何にここまで怯えるのか。喉、口の中を通り、あのモノが口から勢いよく出てくるのがとにかく恐いのです。
カウンセリングを受けていく中で、私は何に気付き、どのように変わっていくのでしょうか。吐く経験をしない限りは、毎回もがき続けるのでしょうか。
回答
怖いことを、その場で怖いもではないと解釈を変えることはできません。人の心は電気のスイッチのようにオン、オフをそう簡単には切り替えることはできないのです。
症状もそう大きくなければ、実況中継もできます。しかし、それが一気にピークな状態であれば、実況なんてものさえも吹き飛んでしまいがちです。
そんな時はどうしても、お手本通りの実況はできません。
慌てていることに、それはダメだとレッテルを貼り、気持ちで大丈夫なんだからと落ち着けようとしてもそれは言うことをきかず、ますます自分を追い込んでしまいます。
嘔吐恐怖が治るということは、嘔吐を起こらなくするということではありません。嘔吐が怖いという今の思いから、嘔吐は嫌なものといった思いに変わることです。
嘔吐の状態というのは、誰もが好みません。あの感覚は誰もが苦しく嫌なものです。避けたいところです。しかしいよいよとなったら、吐くしかないわけで、吐けばスッキリするものだと体験上、分かってるから吐けるわけです。
そんな状態は100パーセント受け入れ切れるものではないことはわかります。誰も受け入れられません。ただ受け入れるかどうかに問わず、避けられないものは避けようと無駄なあがきをやめ、あきらめの境地に至るとき、心は穏やかになるものです。
いざその時がくれば、パニックになり、でも結局は吐くところにまでは至らない。実際の嘔吐は起きておらず、ただ吐きそうな感覚にとらわれ、とんでもない事になると思考の枝が伸び、その物語で怖れの底上げをしている状態が嘔吐恐怖症そのものです。
吐くことを体験せずとも、そんなピーク状態になった時に、落ち着けていない自分に気付き、自分の状態を監視ではなく観察する態度が回復の一歩手前まで求められます。
冷静に対処する事が受け入れることと勘違いしないようにしてください。冷静ではない自分を受け入れることが大事なんです。
いい見本、理想の状態だけが人間本来の姿ではありません。
時には取り乱したり、人の見本にならない自分が出てくる時だってあるのです。
不完全さを嫌うことなく、それも自分自身。
嫌なところをみる勇気を持ってください。
回復は、その時々の、ありのままの今の自分を受け入れることができるようになった時です。
先日はカウンセリングありがとうございました。
また予約をしようと思ってるのですが、今浮かんでる気になることがあるので、先にこちらで質問させてください。
いつも似たりよったりの質問になってしまいますが。。日常、何でもない時にフワッと違和感が生まれ、吐き気や頭のフラフラ感で出るときなどは、実況中継がすごく意味ある行動になり、いやそもそも今!に気付けるのですが。
わたしは嘔吐恐怖感がとにかく強く、本当に体調不良で胃がムカムカして気持ち悪いとき、いよいよ吐くか?!ってなるともう思考は暴走で吐きたくない。吐くのが恐い。の気持ちが一気に強まりパニックになるのですが、こんなときは、そもそも今気持ちが悪い。吐きそう。しか気付けません。もう何しても恐いのです。
いよいよ吐くか?ってなる場面までは、ちゃんと吐くことは大事な排泄行為で悪いものを出して体を守ることだから仕方ない。
イヤだけど不快だけど、吐くときは吐く。吐きたくなくたって出てくるときは出てくる。自然に任せるしかない。諦めるしかない。吐いた方が楽になる。という事実を受け入れてるつもりなのですが、、
いざ、胃腸炎や食べ過ぎなどで吐きそうな場面に出くわすと、その事実を一切受け入れられない自分がいて、それに気付きます。
気付いたときにはもう冷静さを失いパニックです。吐いたら楽になるのに、その先を越えたくなくてもがいてしまうのです。
わたしは一体何にここまで怯えるのか。喉、口の中を通り、あのモノが口から勢いよく出てくるのがとにかく恐いのです。
カウンセリングを受けていく中で、私は何に気付き、どのように変わっていくのでしょうか。吐く経験をしない限りは、毎回もがき続けるのでしょうか。
回答
怖いことを、その場で怖いもではないと解釈を変えることはできません。人の心は電気のスイッチのようにオン、オフをそう簡単には切り替えることはできないのです。
症状もそう大きくなければ、実況中継もできます。しかし、それが一気にピークな状態であれば、実況なんてものさえも吹き飛んでしまいがちです。
そんな時はどうしても、お手本通りの実況はできません。
慌てていることに、それはダメだとレッテルを貼り、気持ちで大丈夫なんだからと落ち着けようとしてもそれは言うことをきかず、ますます自分を追い込んでしまいます。
嘔吐恐怖が治るということは、嘔吐を起こらなくするということではありません。嘔吐が怖いという今の思いから、嘔吐は嫌なものといった思いに変わることです。
嘔吐の状態というのは、誰もが好みません。あの感覚は誰もが苦しく嫌なものです。避けたいところです。しかしいよいよとなったら、吐くしかないわけで、吐けばスッキリするものだと体験上、分かってるから吐けるわけです。
そんな状態は100パーセント受け入れ切れるものではないことはわかります。誰も受け入れられません。ただ受け入れるかどうかに問わず、避けられないものは避けようと無駄なあがきをやめ、あきらめの境地に至るとき、心は穏やかになるものです。
いざその時がくれば、パニックになり、でも結局は吐くところにまでは至らない。実際の嘔吐は起きておらず、ただ吐きそうな感覚にとらわれ、とんでもない事になると思考の枝が伸び、その物語で怖れの底上げをしている状態が嘔吐恐怖症そのものです。
吐くことを体験せずとも、そんなピーク状態になった時に、落ち着けていない自分に気付き、自分の状態を監視ではなく観察する態度が回復の一歩手前まで求められます。
冷静に対処する事が受け入れることと勘違いしないようにしてください。冷静ではない自分を受け入れることが大事なんです。
いい見本、理想の状態だけが人間本来の姿ではありません。
時には取り乱したり、人の見本にならない自分が出てくる時だってあるのです。
不完全さを嫌うことなく、それも自分自身。
嫌なところをみる勇気を持ってください。
回復は、その時々の、ありのままの今の自分を受け入れることができるようになった時です。