Q209:不完全、不必要さも、あるがまま

葉さんからの質問

子供の頃からの思考の癖で最悪の状況を想定しておけば、どんな結果であっても「まぁ、思っていたよりましだった」と思える、と考える癖があります。 

「こうなってほしい」と考えてしまうと、希望通りにならなかった時に落胆してしまうので余計な希望は抱かない様にしようと思ってきました。

先生のおっしゃるどうせ未来を想像するなら、あってほしい事を考えるという事は共感しているのですが、どうしても上記の癖が抜けきりません。

先生は自分の気持ちを無視し続けた結果が症状となって現れているとおっしゃられています。

私も自分の押し殺しているであろう気持ちを吐き出す様にしようと、口に出して人に聞いてもらったり、紙に書き出してみました。

すると「あれ私ってそんなにあの事が嫌だったの」とか「あの人嫌いだったの」自分に対してその感情が必要以上にインプットされてしまう気がします。結果、その嫌な感情に強烈に支配され苦しくなってしまいます。

自分の感情を無視するのもダメだし、意識し過ぎるのも辛い…どう折り合いをつければいいのでしょうか。


回答


「まぁ、思っていたよりマシだった」と思えた方がショックが小さいので、余計な希望は抱かないようにしてきたというあなたの中の思いは

言い換えれば

「結局は私はダメなのだから」

になってはいないでしょうか。

過去の体験から得た、教訓なのかもしれませんが、過去の体験が根拠であろうと、今目の前で起きることは、過去の体験とは切り離したほうが無難です。

やればやるほど、その教訓が強化されてしまうことになりますので、この思い込みが手放せなくなっていきます。

そんな信念がどこで植え付けられたものかは、今や問題ではありません。

でも、それは「思い込み」です。

何をしても結局はダメなのだから、現実に向き合わないでおく。

いっけん論理に沿っているように思えますが、全くのデタラメです。

現実に向き合ってもいない、失敗を怖れ、やり切ってもいないうちから、自分の可能性を閉じている状態です。

うまくいくかいかないかは、やらないとわかりません。

希望が叶わなかった事が、どれだけいけない事なのでしょうか?

一度や二度で希望が叶うことが、どれだけあるのでしょうか?

人は、得た結果から学習する生き物です。

出た結果を、軌道修正して目的達成に近付くのです。

「希望通りならない」ことは、そもそも怖れることや、失望することではなく、目的を得るために必要なことがわかったということです。

不快なことであれ、起きるべくして起きることは避けられません。避けようとすること自体に無理があります。

それを避けるものではなく、受け入れていくことであり、リスクを最小限にとどめ、できるかぎりの希望達成のために何をしておいたらいいのかにフォーカスすべきです。

全力を尽くすことは言うほど簡単ではありません。あなたのような事を無意識にしている人もいるでしょう。あなたは気付いただけ良いのです。気付かなくては軌道修正できません。

しかしながら、中途半端な手段で自分を慰めたところで、何をやっても満足には至らないでしょう。ますます、「結局は、私はダメなのだ」のレッテルが強化されてしまうだけですよ。やはりできるだけのことはしっかりとやることです。

中途半端に逃げ、現実に向き合うことを避けているかぎり、あなた自身の中の思い込みで苦しむだけです。

また人は良いところもあれば、悪いところもあるものです。時には悪いところも目立つ時があるでしょう。でも、それはその人自身ではありません。

その人の一部であり、
その人自身ではありません。

嫌なところ、嫌な感情を「悪」としないことです。

嫌なところは、誰にでもあるし、改善することは大切かもしれませんが、それが自分なのだという解釈はやめにして、そして何よりも嫌なことが自分の中にもあるという、自分の本音を受け入れましょう。

嫌なことがあっても構わないのです。
嫌な人がいたっていいのです。

自分の気持ちを押し殺してまで、他人を優先にすることの意味が、相手のためにだったら、少しはマシですが、そもそもの動機が相手からどう思われるのか心配だったり、嫌われたくない思いからくるものであれば、それは自分自身を見失うことになるのでやめにしましょうね。

出てきた考え、思考は流れるがままに流しておくのです。いちいち、取り上げずにおけば、違った関心ごとに反応して、また考えや感情が湧いてきます。流れるに任せ、時間が経過するのを待ち、今大事なことに意識をむけ直していくことが大事です。