出来事をどう解釈するか…それよりもっと高い視点から不安を眺めてみる


不安という言葉に、あなたはどんな印象をもっているでしょうか?


パニック障害や嘔吐恐怖症など、自分がこうした心の病にかかる前とは、大きく不安に対する意味も変わっているでしょう。


あってはならない。

不快。

失望。


いろいろと意味付いている言葉があると思います。


あなたは毎日のように不安にとらわれ、思い悩むわけですが、その不安はあなたが与えた意味によって成り立っています。


自らが与えた意味に苦しんでいます。

それは事実以上に怖しいストーリーを含んでいるので、あなたのくっ付けた意味は事実以上に、怖いものとなっています。


こうした起きた事実に、あなたが意味を付けなければ、それは単なる湧いてきた一過性の「出来事」に過ぎません。


人には常に、何かが発生しています。

「出来事」が起きているのです。そして私たちは各々が、過去の体験や社会通念から学んだ意味を、その出来事に結び付けます。


事実に対する解釈によっては、事実がかなり形を変えてしまっていることに、私たちは気付けていません。


事実は、本当はもっと優しいのです。

あなたが苦しんでいるのは、事実よりストーリーです


ここまでは、しつこいぐらいブログ等でもお話してきました。心理学的な説明です。


ここから先に話は、もう一歩進みます。

私が試みてきた内容です。発想を転換する勇気と素直さ、挑戦心があれば、モノにできます。


発想の転換一つで、パニック障害や嘔吐恐怖症は快方に向かっていることを、今より数段、実感を感じることができるようになるでしょう。


私たちは言葉で、起きた出来事に名称、意味付けをしています。それは良し悪しの区別をしたり、他人に伝えるためでもあります。


誰もいない、伝えるべきものではないならば、それは単に「それ」でしかありません。


「それ」そのものには意味は元々ありません。意味のないところに苦しみは生まれようがありません。


あなたに提案です。


あなたが日頃、口走ってしまう、不安や怖いといった言葉を単に


「それ」とだけ表現してみよう。


私たちは【「それ」を出来事として体験しているだけ】として受け取るのです。


もっと!


ヒキ目線でみてみるのです。

どこまで引いていくのか?


不安というレッテルを貼られた側にたってみるぐらい。


あなた自身が不安というレッテルをつけられた、一つの出来事だとしたならば、あなたは「不安な、それなのですか?」「怖い、それなのですか?」


そうした存在なのでしょうか?


単なる「それ!」であり名前も意味もないものではないでしょうか?


ただ出来事として出現してきただけです。


不安は単に「それ」であり、何の意味もありません。


私たちはただ「それ」が出来事として起きてきて、それを「今、体験しているだけ」です。


もう起きた事に、意味や原因探しをする必要はないのです。


それは単に「出来事」として起きて、それを私は体験しているだけ。


そして「今日はそんな日」なのです。


意味や原因探しで時間を費やさない


私がいつも、いつも言っているのは、こうした意味があって言っているのです。


そして、「あるがまま」とはこういった事です。


万事は常に変化していて、私たちはその中を生かされています。


般若心経でいうところの「諸行無常」。


キリスト教で言えば、「神に全幅の信頼を寄せ、委ねなさい」。


すべてはなるようになり、なるように去り、私たちは生かされているだけです。


「出来事として私は今、それを体験しているだけ。そして今日はそんな日」私はその事に気付いています。


この実況をあなたの中に根付かせていってくださいね。


今回の内容は100回以上、読んだ人がわかります。約3か月。毎日1回読むことを習慣にする覚悟がありますか?


私は本気であなたに挑戦を仕掛けてますよ。

1日1回、3か月。この記事を読み続けて、日々正しく実践していけば、たった3か月で光が射してくる話です。