ヒナさんからの質問
初めまして。
セドナに興味があり富樫さんの動画に辿り着きました。
親の相続の話し合いで、私の知らなかった兄弟の人格を知り、愕然とし、怒りと嫉妬と理不尽さに胸が掻きむしられる思いを消したいと思いセドナに辿り着きました。
セドナの一連の手放しの流れで躓いております。
教えて頂けたら嬉しいです。
この怒り認めますか?
はい。
この怒り手放せますか?
いいや、そんな簡単に手放せるわけないじゃん。
無理、無理。
未だ憎んでいたいのだ!
と、ここでストップしてしまう私です。^^;
セドナとしては、ここで、イイエ!
と、出てきても次の
手放しますか?
イイエ。
いつ?
今!
と、一通りの事を続けるのですか?
それとも、無理無理の二つ目の質問のところでストップして
また、最初から質問するのでしょうか?
セッションを申し込もうと考えましたが、まずは、自分でやってみようと思い相談させて頂きました。
どうぞ、宜しくお願いします。
初めまして。
セドナに興味があり富樫さんの動画に辿り着きました。
親の相続の話し合いで、私の知らなかった兄弟の人格を知り、愕然とし、怒りと嫉妬と理不尽さに胸が掻きむしられる思いを消したいと思いセドナに辿り着きました。
セドナの一連の手放しの流れで躓いております。
教えて頂けたら嬉しいです。
この怒り認めますか?
はい。
この怒り手放せますか?
いいや、そんな簡単に手放せるわけないじゃん。
無理、無理。
未だ憎んでいたいのだ!
と、ここでストップしてしまう私です。^^;
セドナとしては、ここで、イイエ!
と、出てきても次の
手放しますか?
イイエ。
いつ?
今!
と、一通りの事を続けるのですか?
それとも、無理無理の二つ目の質問のところでストップして
また、最初から質問するのでしょうか?
セッションを申し込もうと考えましたが、まずは、自分でやってみようと思い相談させて頂きました。
どうぞ、宜しくお願いします。
回答
セドナメソッドにおいて、途中で素直にイエスと言えずに、止まってしまうことはよくあることです。そんなときであっても、原則前に進めてもらいます。
また、相手のために怒りを手放すのでなく、あくまで自分のために手放すわけなので、
「自分のためにも、この怒りをわずかでも手放せますか?」と台詞を変えたりして、イエスに近い状態を意識しつつやると良いでしょう。
なんで相手が悪いのに!
私の怒りは正しいのに!
たしかにご自身が正しいのかもしれません。
しかしながら、怒りを自分が抱えてしまえば、ご自身にのみ怒りによる犠牲を負うことになるのです。
また今回のこと、詳しいことはわかりませんが、怒りの裏には、あなたのどんな気持ちがあってのことなのか。
期待し思っていた兄弟に対する印象が裏切られた感覚。自分だけ、のけものにされた感覚。ないがしろにされた感覚。いい加減に扱われた感覚など…
言葉は色々かもしれませんが、怒りの裏に潜む、こうした一言で言うならば「承認欲求」といったものが満たさなかったことによる怒りがそこにあることを、自分に問いてみてください。
「セドナメソッド」の応用編として、なかなか手放せない感情には、その裏にある「欲求」というものに焦点を当てて、手放していくことを行なっていきます。
感情はそもそも抱え込むものではありません。
自らの立場を方向転換するキッカケにしたいものです。
毎日の生活でフッと思い起こしては、怒りに包まれてしまうときセドナメソッドを辛抱強く、淡々と行ってみてください。
気付けば、怒りが湧いてきても以前よりも、怒りに冷静に対処できる自分や、繰り広げられている問題ある状況に対しても、距離を持って穏やかに眺められる自分が見えてくるかと思いますよ。