欲求の手放し③(セドナメソッド⑰)

2021/14 YouTube配信原稿



みなさん、こんにちは。

とがしやすゆきです。


17回目の「セドナメソッド」の講義動画を始めます。


今回も引き続き「欲求」についてお話をしていきます。前回は「コントロール欲求」についてお話をしました。今回のお話を聞く前に、前回の内容をもう一度振り返ってから聞いてみてください。


またこの「セドナメソッド」の講義に関しましては、毎回の動画でお話している内容の原稿をブログに掲載していますので、そちらも読まれると、理解もしやすいと思いますので読んでみてくださいね。


ブログに関してはホームページ上にありますので、メニューを辿ってご覧ください。


さて今回も「セドナメソッド」の「欲求」についてお話をしていきます。


今回の「欲求」は「承認欲求」となります。

認められたいという欲求のことです。

今回のお話は2回に分けてお話をしていきます。今回はその1回目となります。


さて人は皆、承認をどこかで得ようとします。

これがエネルギーとなって、人は何事かを成し遂げることが可能となるわけですね。頑張れるのは、自分のためもありますが、他人から承認されるためでもあるわけです。


「こうありたい」、「こうみせたい」、「こうみられたい」


と、これが人の行動する一つの動機付けにもなっているのです。


しかしそれらが得られないと、前回もお話したコントロール欲求が高まることになり、そもそもコントロールできないのにコントロールすることに必死になる罠にハマり、やがては苦痛を生み出す事になります。


コントロール欲求が高まっている時というのは、こうありたい、こうみせたい、こうみられたいの3つのうちどれか、もしくは全部が叶っていない状態です。つまりコントロールしたい欲求の裏には、承認欲求が含まれているということです。


今の状態のままだと、承認が得られないことに繋がる、潜在的恐怖感があるということ。だからコントロールしておきたいんですね。


ここが今回のお話をすすめる上での大前提となります。ここまでを聴いて理解できていないようでしたら、ここまでを繰り返して見直してください。ブログの方には、今回のお話の原稿がありますから文章で読んだほうが理解が進むかもしれません。


ご自身にあてはめて、コントロールしたい欲求の裏には承認欲求が隠れていることを確認してください。


さて、ここまでの前提が理解できた上で、話はここからです。このコントロール欲求を含む、今回の承認欲求があなたのパニック障害と、どう関連があるのかについてお話を進めていきます。


あなたはパニック障害を抱えているわけですが、常日頃から「こうなったらどうしよう」が決まり文句となっていたりしませんか?


あらためてお聞きしますが、あなたがパニック発作が怖いのは、なぜでしょうか。症状の辛さを怖れているだけなのでしょうか。


実はどんな人も抱えている、「どうしよう」があります。

あなたにも例外なくあります。


もし自分の身にパニック発作が起きたら、次の言葉をつぶやいたりしていませんか?


「迷惑をかけたらどうしよう」


「変に思われたらどうしよう」


「うまくできなかったら、うまくいかなかったらどうしよう」


そこには


迷惑をかけたくない自分。

変に思われたくない自分。


つまり期待した自分ではない自分。また期待されているであろう自分ではない状態、そんな自分を見せてしまうことを怖れているんです。あなたは人を裏切るような感覚を怖れていたりしませんか。


冒頭でお話した「こうみられたい」「こうみせたい」「こうありたい」がパニック発作に見舞われた時、叶わない怖れがそこにあることを確認してください。


さてあなたは、道徳観も高く、常識ある人だと思います。人は人だ!と思える人は、正直なところパニック障害などにはならないのではないでしょうか?これは言いすぎでしょうか。


日本人の道徳観として「人に迷惑をかけない」がありますよね。電車などを乗る人はわかると思いますが、「他のお客様の迷惑にならないように」なんてアナウンスがしょっちゅう流れているわけです。


日本ぐらいじゃないでしょうか。毎日のように「迷惑をかけない」なんて言葉が耳に入る国は。 小さい頃から、「他の人の迷惑になっちゃいけません」と保育園児ぐらいの年齢から親に言われたりするのです。


迷惑=不快な思いをさせる、少々拡大解釈するならば期待を裏切るということにつながり、そうなると自分の承認を得られない状態は見捨てられ恐怖を引き起こすのです。他人からの承認が自分自身の評価であると思っている人にとっては、これはこのうえない恐怖感なわけです。


パニック障害になると、冒頭で言ったところの


「こうありたいのに、こうみせたいのに、こうみられたいのに」


つまりは承認欲求が叶っていない状態への怖れが、とても大きくなります。実は症状の辛さだけではないということです。


自分が何を予期不安としているのか?

またあの辛い症状の体験だけを怖れているのか?

いつもお話している「気付き」を症状だけではなく、このような面にも広げると、あなたが抱えている不安、恐怖感への受け入れがうまくいくようになってきます。


今回のお話をまとめますと、パニック障害などになると、つらい症状を体験することを怖れ、それをどうにかしようと必死ですが実は、もう一つあなたが抱えている恐怖があって、それが承認が得られないという恐怖であるということ。そしてその怖さを払拭するために、コントロールしようと必死になっている自分。


しかし症状をコントロールすることは、ますます症状を強くし、強くなればなるほどに承認されない恐怖も加わって、ますますコントロールすることに執着することになるんですね。


そして前回の動画では、この「コントロール欲求」を手放すことが、症状を受け入れ、浮かんで通ることを容易にしていくことをお話しました。


今回は、そのコントロール欲求の裏に潜んでいる「承認欲求」を手放すことで、コントロール欲求の手放し同様に、症状への理解が深まっていくというお話でした。


どうですか? あなたにも当てはまりませんか?


「こうありたいのに、こうみせたいのに、こうみられたいのに」がありませんか?


「セドナメソッド」でこの承認欲求を手放すことで、必要以上に相手の気持ちに寄り添いすぎず、自分を犠牲にしない生き方をしていくことができます。そしてパニック発作や予期不安を、コントロールしようと必死に戦うことをやめて受け入れていくことができるようになっていきます。


今回のお話はここまでにします。続きは次回となります。次回はこの「承認欲求」の手放し方についてお話をしていきます。また聴いてくださいね。


いつもありがとうございます。

とがしやすゆきでした。


今回の動画版はこちら