さあやさんからの質問
わたしは中学2年生の始めから嘔吐恐怖症と闘って誰にもこのことは告げず自分自身でなんとか乗り越え、それから中高短大を出て社会人として毎日仕事もして、昨年は結婚妊娠出産を経験し、現在29歳になります。
普段は調子もいい、ご飯も普通に食べれる、外食だってできるし、こんなわたしが妊娠出産だってできた。
普通に嘔吐恐怖ではなかった頃の生活をしています。しかし年に何回かは富樫さんがよくブログでおっしゃっている「神様のお試し」のように、突然症状が出たりします。
症状としては喉の詰まり感や食事が喉を通らない、もし吐いたら周りに迷惑かけてしまうと頭の中で不安が暴走しえずきそうになる。
など色々です。
富樫さんは今は完治して再発もないもおっしゃっていて、わたしもほとんど普通の生活もできるようになったし完治と言いたいところですが、未だに年に何回かこの症状を繰り返しているのが自分の中で許せないです。
もう10年以上もこんな状況で再発がでるたびにわたしは完治することはないんだな、って落ち込んでしまいます。
富樫さんのように再発がない自分になるためにはどうしたらよいのでしょうか?長くなり申し訳ありません。よろしければご回答よろしくお願いします。
回答
あなたのように、再発についての悩みがよくカウンセリングの中でも質問される事が多いです。
今回のご質問の内容だけで、また文章だけで伝えるには、奥が深く結論は導けません。
しかし、よくある事例としてお話を進めます。話は単純ではありませんので、これから2ヶ月の間、毎日1回は、この回答を読むようにして下さい。
あなたにとって、良い気付きがありますように。
さて質問に答えて頂きたく思います。
◉どんな場面で再発率が高いのでしょうか?
◉その場面で共通することは何かありませんか?
◉そこには自分にとって、どんな人がいますか?
◉そして自分にとってどんな状況なのでしょうか?
パニック障害や嘔吐恐怖症の人は、自分の見せ方、見られ方にすごい神経が向く人が多いです。
他人に気を使う、気を回す、相手からもそこをすごく感心がられることも。
でも裏を返すと、自己防衛であったり、承認欲求の強さからくる、先回りだったりします。そんな人は他人にすごく振り回されやすいです。
あてはまるでしょうか?
そんな場合は承認欲求に気付きをいれ、手放してしまいましょう。
手放しの方法については、私のYouTubeチャンネルでシリーズでお話ししている「セドナメソッド」を勉強して下さい。特に最近の連続講義で「欲求」についてお話していますので、そちらをご覧いただき、実践してみて下さい。
さて、次の視点です。
パニック障害や嘔吐恐怖など、心の病は症状だけを追っていてもいけません。
症状が起こってしまうのではなく、自らが引き起こしているという観点も必要です。
◉自分にとって何が危険、安全ではない状態と言えるのか。
◉何から身を守りたいのか?
安全・安心でありたいという気持ち、状態を人は無意識にもっています。この意識が過剰なまでに強い人を一般には完璧主義と言われたりもします。
乱す事、乱される事を嫌い、何事も準備万端にしておきたい。その時に大慌てはごめんだ。その時に取り乱す自分はまっぴらごめんだ。これも承認欲求と関係します。
こうした自分の欲求が守られなくなると身体が反応し、症状を引き起こす事があります。
そして最後の見方。
完治を追い求めるとこうなる事例でもあります。
再発するたびに、考える時間が長くなり、自分の不甲斐なさを責めるようになれば、いらぬ罪悪感を抱くようにもなるでしょう。
どうせ自分は結局こうなんだ…こんな落ち込みが、いつの間にか、「そんな自分は一生こんなものに悩まされなくてはならないんだわ…」「どうせ自分はこんなもん」となり、症状を無意識に自分の罪の償いにすり替えてしまう場合があります。
自分は罪深い人間なんだとは、誰もが思ってもいない事だったりしますが、実は罪悪感というのは誰にも存在していて、苦しい事を再現させている人は知らぬ間に、その苦しみで自分の罪を償っていたりする事があります。
いつも失敗ばかり。
自分の罪を失敗することで償っているからです。
信じがたいところもあるかと思いますが、事実としてそれはあるのです。
ですから自分の罪悪感に気付かないと、その苦しみを抱え続けることになります。
しかしその罪悪感はストーリーです。勝手に作り上げた罪の意識で苦しまないためにも、気付きが必要で、そして、その都度手放していく必要があるのです。
こうした事例のように再発するたびに考える内容が、完治へのとらわれを強くしていることが多々あります。
忘れている時間の中で、フッと思い出した時に、感じ方の点検をしてないか?
また思考に浸っていないか。その思考の中に上記のようなものが見え隠れしていないかチェックしてみて下さい。
あなたが許せないと言っている以上は、自分にそんな症状が起きてはいけない。症状を「悪」として受け入れていないのです。
クレア先生も言っていますが、起きる事をジャッジせずに、それを一つの出来事としての体験として受け取り、浮かんで通り、時間の経過に任せていくのです。
もう10年もこんな事で…と気分も滅入るかもしれませんが、毎年のように起きる症状に対して、あなたは年々、自分自身のあるがままと「症状」を受け入れから、自ら遠のかせているように思います。
完治に近いポジションにいる人ほど、この残りカスのような、ほころびを良しとせずに、いつの間にかまたコントロールしようとしているのです。
受け入れる…なかなか簡単ではないですよね。
だからこそ、「気付き」が必要なんです。
そんなあるがままの自分を、そしてそこで起きた出来事を何もジャッジせずに、ただ起きている、体験している、一つの時間に過ぎない事として、そこに何もストーリーを加えずに眺めつつ、「今ここ」へと自分を戻す。
そもそもの生活をその状態のまま、しばらくしていくうちに、事はおさまり落ち着くところに落ち着くのです。
完治に完璧さを求めない事。あなたにとって必要なのは「正しく待つ事」です。完治を引っ張ってこようとしないことですよ。
今回のお話はあなたにとっても、そして読まれている人にとっても、難しいお話です。
ですから何度も読んでみてください。自分に当てはめて読んでいくうちに、気付くこともあるでしょう。
ちなみに私にもあなたのような過程があったことを付け加えておきます。
そしての「今」があります。
安心してください。大丈夫です。
いつの日か、あなたの完治への執着が解かれますように。