2021/2/13 YouTube配信原稿
みなさん、こんにちは。
とがしやすゆきです。
第23回目の「セドナメソッド」の講義動画を始めます。さて今回も前回から始まった「正しい目標設定と達成率を高める方法」の2回目となります。
セドナメソッドでは、目標設定そして、その達成までの道のりで大切なのは、「執着と嫌悪感を持たない」状態をいかにキープしておくかということでした。
一旦目標設定をしたら、がむしゃらに突き進める人はそんなにいません。普通はどこかで息切れだってしますし、その都度、軌道修正をしながら目標達成に近付いていきます。
ただ、自分にとって絶対に達成しなくてはならないことだったり、切迫したことに関しては、「がむしゃらに何が何でも!」という気持ちを持っていきがちです。
頑張らなきゃ、頑張らなきゃは執着です。執着は言い換えれば「とらわれ」です。とらわれは決して良い感情を生み出しません。
結果を出すには、そこへの「とらわれ」がない状態に自分を置くことは大切です。
つまり、立てた目標を達成できるかどうかをまったく気にしない状態に身を置くということです。
私達はよく一旦決めたことは守る、やり通すことが大切であると言い聞かされてきました。それはそれで意義深い言葉ではあると思います。
しかし目標達成に置いては、それは気持ちとしては持ちつつも、しかしながら「絶対的」な事として前面にすえてしまうと、結果を出すまでの過程で何度も訪れる、不安や言い訳ごとに対してそれは良くないこととしてとらえがちです。
そうした事態に嫌悪感を抱いてしまうと、逆に意志の力で何としてもやりきろうと、さらにヒートアップさせようと必死になるんですが、意志の力というのはアクセルを踏めば踏むほど、スピードアップするものではなく、大変なエネルギーを消費するものです。意志の力に頼るには限界があるということです。
目標達成が上手い人は、それをよく知っていて意志の力にはあまり頼りません。
結果を出すには継続できる仕組みを作ることが大切であることをわかっています。そしてその仕組み作りが非常に上手いです。
更にそうした人は、自分の感情のコントロールが上手いです。ここで言うコントロールというのは、言葉を変えれば「受け入れる力」のことです。
上手くいかせることだけに執着せず、ときに訪れる抵抗感を受け入れ、その都度その都度、軌道修正する事を良しとしています。そこで感じる嫌悪感をあるがまま認め、感情に執着せず、今必要なことをその都度見直すことを繰り返しています。
そこには何が何でもという強い気持ちというよりは、「こうなったら楽しいなぁ」という子供のような思いがあるだけです。
はたからみると簡単にやっているように見えたり、楽しんでいたり見えるのは、「あるがままを受け入れ、それに執着せずに淡々と軌道修正する事も良し」としているだけです。
目標設定をしたら、その結果にとらわれず、一旦目標そのものを手放し、心を軽くし、必要なことを、その都度その都度淡々とやっていく方が、結果というのは見えてきます。
さて、そうした観点から、セドナメソッドでは具体的にどのようにして「執着と嫌悪感を持たない」状態にもっていき、目標達成を目指していくのでしょうか。
まず当然ですがセドナメソッドで大切なのは、感情に対する気付きと受け入れです。
あなたは目標ということにどんなイメージ、感情を抱くでしょうか。
その人の過去の目標に向けての努力と結果によって異なるかと思いますが、失敗体験が多ければ多いほど抱く「目標」という言葉のイメージは…
・「努力が必要」
・「大変そう」
・「不安でしかない」
・「三日坊主」
などなど、あまり良いイメージ、感情を抱かないかと思います。
あなたは意識していないかもしれませんが、そうした過去の目標に対するイメージで、新しい目標を立てて、そうしたイメージや感情を持ち込みながら進むことになります。
当然、訪れるスランプのようなものにハマると、過去のそうしたイメージの記憶が再生されてしまうことになります。「ほら!やっぱり!」と、よりそのイメージや思いを強くしてしまうことになるのです。
セドナメソッドではまず、過去に立てた目標や、その経緯、そして結果に対してのイメージ、感情を思い起こして、それらに含まれている欲求を手放していきます。
今回は私のことですが、例としてお話してみます。
まず結論ですが、立てようとしていた目標が、今はそれは必要がないという納得がいったことです。
目標達成ができるできないではなく、「やる必要が今は無い」ということが、不安にもならないし、強迫感がなくなったということ。
その事によって、今自分に必要なするべきことがハッキリとして、それに集中することが何よりも大切であることがわかりました。
優先順位を付けられるようになったことは、私にとっては身が軽くなりましたし、優先順位が高いことへのクオリティーが上がりました。
さて、その内容ですが、「英会話」なんですね。
長年、英会話を習得したくて、自分でやってはきたのですが、いつも三日坊主でした。でもしばらくすると、またやり始めてはその繰り返し。
それを数え切れないぐらい、繰り返してきました。そのたびに、思うことがあって、その思いに執着してまた始めるのです。
①まずは「英会話習得」という目標についての「今」の感情について探ります。
また、どうせ続かないだろうな…というイメージ。そこに含まれているのは不安感、無力感、冷めた気持ちでした。
そして、その感情を一連の手順で手放しておきます。
②次に、そうした感情はどの欲求から出てきているのかを探ります。
・「不安感」…安全・安心欲求、コントロール欲求。
・「無力感」…承認欲求。
・「冷めた気持ち」…承認欲求。
③英会話に対してどのようなイメージ、思いがあったのか、なぜやらなければならないと、思ってきたのか、そしてその裏にはどのような欲求があるのかを、さらに深堀りしてみます。
・「自分にとって、英会話は将来にきっと必要だ」(安全・安心欲求、コントロール欲求)
・「人生どこで何が起きるかわからないんだから、英会話を習得しておけば、何かそうした機会に巡り会えるのではないか」(安全・安心欲求、コントロール欲求)
・「英会話ができれば、一つ抜きん出るものができる。それは大きな自分自身への自信だ」(承認欲求)
・「英会話ができれば、かっこいい」(承認欲求)
・「今の時代、英会話ぐらいはできないといけないだろう」(安全・安心欲求、コントロール欲求、承認欲求)
④それら欲求を一連の手順で手放していきます。
このように抱くイメージや、思いの裏には欲求の存在があります。今回の私の例では、その欲求の欠乏感が英会話を習得することで満たされるわけですね。英会話の目的がすり替わっていることに気付いたんですね。
だから、こうした欲求の欠乏感がある限り、三日坊主だとわかっていても、またその欲求を満たすために英会話を始めるのです。まだ三日坊主になっていない数日は、やっている感覚がすでに欲求を満たし始めているので、しばらくは気分もよく継続できているのですが、そもそも論として、英会話は何のためにやるのかが不明瞭でしたし、単に欲求を満たす手段でしかなく、動機があまりに不純で、英会話じゃなくてもよかったりしませんか?そんな気付きもあったりするわけです。
そうなると、自分の立てる目標の基準が、安全・安心欲求だったり、承認欲求からだったりするだけで、本来の目的がそこにはなく、特に自分の今の生活には必要もなく、もっと足元をみれば必要なことはすでにあって、そこをまずは優先するべきではないかという自分の中の納得がいきました。
もちろん英会話は諦めたとかではありません。英会話は習得できたら良いとは思いますが、今すべきことは、もっと他にあることがわかったんですね。自分の中に納得感が湧くことはとても大切なんです。他人から見たら、この経過がどのようにうつり、解釈されるかはわかりませんが、大切なのは自分の納得感なわけです。
このようにしてセドナメソッドでは目標達成の手助けをしてもらえる一方で、今回の例のように、本当に今必要なことな何なのかをあらためて気付かされます。たとえ目標達成したいことが変わったとしても、すごく納得がいくようになるんですね。そうなると「目標」そのものに対するイメージ、思いも変わります。何としても!といった気負いが軽くなります。そして、今の私は何とも心地が良いのです。気持ちが軽いんですね。
セドナメソッドの本の中でも言っていますが、目標を定めたり、追い求める場合に大切なことは、その目標を納得し、自ら選択したと思えることなのかということです。
周囲に振り回されて、やらなきゃならないのでは?といった思いにかられやすい世の中ではありますが、果たして自分にとって必要だと思ってしまうのは、どんな欲求の欠乏感がそこにあるのか、それを満たすためにやっているだけなのではないか、そんな視点でもってやろうとすることをみてみると、そもそも自分には必要はないことなのではないかと納得いくようになります。
本来必要な事を改めて知り、納得した上でそちらを優先できるようになります。
そして自分は自分、他人は、他人であると、自分軸をしっかり持つことができるようになります。そこに不安や罪悪感はありません。自由しかないのです。自分を生きることができるんですね。
少し今回の話は難しく感じたかもしれません。
今回もお話の原稿は、ホームページのセドナメソッドのページにまるごと載せていまので、文章と合わせて聴いていだだくと理解が進むかと思います。また次回も目標設定についてお話を続けていきます。
また次回も聴いてくださいね。
ありがとうございます。
とがしやすゆきでした。