mgzさんからの質問
こんにちは。嘔吐恐怖のことで少し相談させて頂きたく思います。
私も昔から嘔吐恐怖に悩まされています。今は食べ過ぎてしまったときなどお腹の膨満感に恐怖をおぼえ、次第に脳内がパニック状態に陥るという事が多いです。
上手く言えないのですが、その先の吐くことより(吐くことも勿論怖い)お腹の不快感や吐き気に脳がただただ恐怖の信号を出しているような感覚です。
大人になるにつれ症状を理解するようになり、パニックになりつつも最終的には心の中で“吐いても良い”と唱えることによって解放され一瞬一瞬を落ち着かせることもできます(雀の涙ですが)。
以前に先生のブログを読んで、症状は治っても嘔吐自体は“嫌な物である”とありました。私はどうもその“嫌”や“不快”が恐怖になっているような気がして、相談の皆さんのような“吐いたら…”や“もしも”とは少し違うような気がしています…
勿論その未来を想像することによって恐怖が大きくなる癖があるので治療は有効なはずだとは思うのですが…。
こんな私でも治療による回復の見込みはあるのでしょうか…
回答
なかなか良いところに気付かれていると思いますよ。
嘔吐恐怖に限らず、パニック発作も初めのうちは、ある特定の状況下において怖れを抱いているわけですが、次第にその怖れを味あわないために回避行動をするようになります。
その後は大きな発作症状や恐怖感も襲わなくはなりますが、行動範囲は著しく狭くなり、特定の状況下において気になっていたものが、今やいつもそれはあって、以前にも増して怖れに敏感になっていたりするのです。
こうなると「もし〜こうなったら…」は避ければ済むことになっているので、むしろいつも何か気になっている、なんだかわからないモヤモヤとした意味不明な落ち着きのなさに気持ちの悪さを感じ続けているように思います。
あなたの言うところの「嫌」や「不快」そのものは、まさにこの部分かと思います。
「不完全さ」「欠けていること」に目が向きやすくはなっていないでしょうか?
安全・安心に対する欲求、そしてコントロールしておきたい欲求がどこか強いところはありませんか?
根本は「怖れ」にあります。そしてそれを支えているのは「欲求」です。
これらに気付き、それら欲求を手放していき、不完全さを受け入れていく安心感を育てていきましょう。
「セドナメソッド」を勉強してみてください。
また先日あげた「第22回講義動画」を見て、あなたの根本に潜む怖れのネタを見つけてみて下さい。